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岡山 中心 グローカル 地域目線で、世界を思考していきたいですね!地域の紹介、世界の話題を考える。岡山県の善さをアピールしつつ・・そんな感じで・・ね。旅行、グルメ・B級グルメ・・、パワースポット・・、iPhone やAndroidに役立つ情報も・・(ジャニーズ ファンだった! あの日までは)

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岡山 高円宮妃久子さまが岡山入り 「星空の街・あおぞらの街」全国大会にご出席【岡山・井原市】


 環境省や県などが主催する「星空の街・あおぞらの街」全国大会に出席のため高円宮妃久子さまが12月4日、岡山入りされました。

高円宮妃久子さまは、井原市で開催された「星空の街・あおぞらの街」全国大会に出席されました。

2020年、新型コロナの影響で中止され2年ぶりの開催となった大会では、長年に渡り美しい星空環境保護に取り組んだとして井原市の美星町観光協会などに環境大臣賞が贈られ、久子さまがお言葉を述べられました。

(高円宮妃久子さま)
「青い空や緑の大地、美しい星空といった豊かな自然環境を未来へしっかりとつないでいかなくてはなりません。」

高円宮妃久子さまは翌5日まで岡山に滞在され、井原市内の観光スポットを視察されます。

岡山の“持続的発展”のために挑戦…「おかやまSDGsアワード2021」14団体を表彰【岡山・岡山市】/「地方の時代」映像祭グランプリ受賞作「忘れてはいけないこと」(OHK制作)東京で上映会【岡山・香川】


岡山の“持続的発展”のために挑戦…「おかやまSDGsアワード2021」14団体を表彰【岡山・岡山市】



 持続可能な開発目標、SDGsを合言葉に地域に活力を与える活動を行っている団体を称える「おかやまSDGsアワード2021」の表彰式が12月4日、岡山市で行われました。

おかやまSDGsアワードは、持続的発展のために挑戦する人材が集まる岡山を目指そうと2020年から行われているもので、岡山県内の企業や教育機関など60団体からの応募がありました。

2021年度は14団体が選ばれ、おかやま円卓会議の松田正己座長から表彰状と賞金が贈られました。

このうち、岡山の労働力確保のために中高生への福祉教育に取り組んだ「社会福祉法人 藤花会」など合わせて4団体が、特に優れているとして評価されました。

(おかやま円卓会議 松田正己座長)
「SDGsを合言葉に、岡山を魅力的で活気のある持続可能な地域にしていきたい。」



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「地方の時代」映像祭グランプリ受賞作「忘れてはいけないこと」(OHK制作)東京で上映会【岡山・香川】




2021年の「地方の時代」映像祭で、グランプリを受賞したOHK制作のドキュメンタリー、「忘れてはいけないこと」の上映会が、12月4日、東京で開かれました。

上映会には事前に応募のあった約80人が参加しました。

「忘れてはいけないこと」は、刑務所の受刑者の高齢化、認知症の問題をテーマにしたドキュメンタリーです。

(「地方の時代」映像祭 審査委員 橋本佳子さん)
「刑務所の中で起きている様々な問題は、今私たちにとってどうなのか、社会に鋭い問題提起となっている。」

上映会の後、番組を制作したOHKの岸下恵介アナウンサーが参加して、座談会が開かれました。

この中で、法務省の元局長の男性は、「受刑者の認知症の問題は、刑事政策では解決できない福祉の問題になっている」と話しました。


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松坂大輔 引退セレモニー イチロー登場で涙【あいさつ全文】


 プロ野球、西武の松坂大輔投手の引退セレモニーが行われ、「最後は普通に投げられなくなるまで野球を続けることができて幸せでした」とファンに感謝の気持ちを伝えました。セレモニーにはイチローさんがサプライズで登場し、松坂投手の日米通算23年間の現役生活をねぎらいました。

“23年間 本当にありがとうございました”
41歳の松坂投手の引退セレモニーは、4日埼玉県所沢市にある本拠地のメットライフドームで行われました。

松坂投手は入団当時の監督の東尾修さんなどから花束を受け取ったあと、ファンに向けて「僕が投げてきたことで、少しでもファンが喜んでくれて勇気やパワーを送ることができていたなら、こんな姿になってもまだまだ投げ続けたいと思いながらやってきて本当によかった。最後は普通に投げられなくなるまで野球を続けることができて幸せでした。23年間、長いあいだ支えていただき、前に進むために背中を押していただき、本当にありがとうございました」と感謝の気持ちを伝えました。

そして、松坂投手がグラウンドを1周しファンに別れを告げたあと、名勝負を繰り広げてきたイチローさんがサプライズで登場し、花束を手渡して日米通算23年間の現役生活をねぎらいました。

セレモニーのあと松坂投手は「最後にイチローさんに声をかけてもらって、これまでやってきてよかったと改めて思った。全部は言わないが、『お疲れさまでした』と『長いあいだよく頑張った』ということばを聞いた瞬間に一気に涙が出た。選手として着るユニフォームはきょうが最後だと思っていたし、最後にライオンズのユニフォームで18番をつけることができて本当にいい最後だったと思う」と話しました。
イチローさん“僕にはこんなやり方しかできません” 
セレモニーの最後には球場内のモニターにイチローさんが映し出され、「大輔、どんなことばをかけていいのか、なかなかことばが見つからないよ。だから僕にはこんなやり方しかできません。許せ大輔」というメッセージを送ったあと、本人がサプライズで登場しました。

そして花束を渡して23年間の現役生活をねぎらうと松坂投手は涙を浮かべていました。

平成11年の5月に当時オリックスでプレーしていたイチローさんはルーキーだった松坂投手と初めて対戦し、3三振を喫しました。

この試合では、松坂投手が試合後のヒーローインタビューで「きょうで自信から確信に変わりました」という名言を生み出し、プロ野球史に残る名勝負として語り継がれています。

2人は大リーグでも何度も対戦し、ワールド・ベースボール・クラシックではチームメートとして日本の2連覇に貢献しました。
【松坂大輔 あいさつ 全文】 
(松坂)
まずはこのようなセレモニーを用意していただいた球団関係者の皆様ありがとうございます。そして、メットライフドームまで足を運んでくださったファンの皆様ありがとうございます。
僕は今シーズン、きょうをもちまして23年間の現役生活から引退します。

野球と一緒で物覚えが悪いので紙を見ながら話してもいいですか。
2006年のポスティングでアメリカに行くときに、ファン感謝デーの日だったと思うんですけど、選手会長だったということもあり最後に挨拶する機会があったんですけど、やっぱりこの場に立つとですね、忘れちゃうんですよね。

なので同じ思いはしたくないので、しっかり自分で考えた文章をですね、紙を見ながら話をさせていただきたいと思います。

野球を始めたときから応援していただいているかた、ライオンズに入団してから応援していただいているかた、けがをしてから応援していただいているかた、たくさんのかたに支えてもらいました。
本当に長い間ありがとうございました。

僕の現役時代の原動力は、応援していただいているかたに喜んでもらいたいと思い頑張ってきました。

「one for all,all for one」ということばがありますが、「one for all.1人はみんなのために」、僕はこのことばを胸に刻み、投げ続けてきました。

僕が投げてきたことで、少しでもファンのかたが喜んでくれたり勇気やパワーを送ることができていたのなら、こんな姿になっても、まだまだ投げ続けたいと思いながらやってきて本当によかったと思います。

小さいころから投げること、打つことが大好きで、引退する直前までもっと投げたい、もっとみんなと勝ちたいと思っていた僕ですが、最後は普通に投げられなくなるまで野球を続けることができて本当に幸せでした。

プロ生活の後半は故障ばかりでしたけど、僕を産んでくれ育ててくれた両親に感謝しています。

小さいときから、常に僕と比較され、苦しい時期を過ごしたこともあった弟にも感謝しています。

若いときから引退するときまで、僕のわがままを許してくれた、妻、子どもたちにも感謝しています。

妻のお母さん、天国で見守ってくれている妻のお父さんにも感謝しています。

ただ、ここまで来る中でたくさんのかたに、たくさんの不満や迷惑をかけてきたことも事実です。改めて申し訳ありませんでした。

こんな僕に投げる場所を与えてくれたライオンズ、ホークス、ドラゴンズ、レッドソックス、インディアンス、メッツ、そしていつも僕の気持ちを奮い立たせてくれたファンの皆様、感謝しています。ありがとうございました。

そして、これからもプレーしていく選手の皆さんへ。
誰でもいつかやめる日が来ます。選手の時間は無限ではありません。
悔いの残らないように日々を過ごしてください。

引退試合の時にも言いましたが、トレーニング、体のメンテナンスには十分お金をかけてあげてください。
それがいつか自分にいい結果として返ってくるはずです。

もしそれが結果に結びつかなかったとしても、一生懸命考え、実践したことは、無駄にはなりません。

23年間やってきた中で、たくさんのうれしい経験、悔しい経験をしてきましたが、いつでも悔しい経験のほうが強く残っています。
その悔しい経験をばねに僕は挑戦してきました。
それは自分で自信をもって誇れる部分だと思っています。

今の結果に満足している選手は誰1人としていないと思いますが、そのときそのときの結果に満足することなく、うれしい経験、悔しい経験をたくさん積み重ねて信念を持って上を目指していってほしいと思います。

その経験、思いをこれからの世代に紡いでいくことができれば、またライオンズの黄金時代がやってくるのではないかと思っています。

これからは1人の野球ファンとして埼玉西武ライオンズの明るい未来を楽しみにしています。

最後に改めて23年間、長いあいだ支えていただき、前に進むために背中を押していただき、本当にありがとうございました。
球場前駅にメッセージボード 
プロ野球、西武の松坂大輔投手の引退セレモニーに合わせて西武鉄道の西武球場前駅には松坂投手へのメッセージボードなどが設けられました。


松坂投手の引退セレモニーに合わせて埼玉県所沢市にある西武の本拠地の最寄り駅、西武球場前駅では電車の時刻などを表示する電光掲示板に「松坂投手感動をありがとう」というメッセージが映しだされました。

また、4日限定で駅の5番ホームが松坂投手の背番号にちなんで18番ホームと表示されたほか、停車した列車には、メッセージボードが設けられ、訪れたファンは「また西武に戻ってきてください」とか「たくさんの感動をありがとう」などとそれぞれの思いを書いた付箋を貼っていました。

40代の男性は「同年代くらいだったので高校のときから憧れてずっと応援していました。『長いあいだお疲れさまでした』と伝えたいです」と話していました。

30代の女性は「松坂投手がイチローさんと対戦した試合が思い出に残っています。きょうは松坂投手の姿を目に焼き付けたいです」と話していました。

重要 旭川女子中学生“いじめ”事件 助けを求めるも学校側は“いじめ”を認めず・・・いじめを防ぐには?背景には問題点も (  岡山にも 高校生自殺 9年もかかる事象も)


 北海道旭川市で凍死した状態で見つかった廣瀬爽彩さん。なぜ学校はいじめを認めなかったのか。関係者の話から浮かび上がった数々の疑問。いじめを防ぐことはできるのか。

■母が感じた娘の異変 「いじめ」を認めない学校側

今年3月、北海道旭川市の公園で凍死した状態で見つかった当時中学2年生の廣瀬爽彩さん。幼いころから絵を描くのが好きだった。爽彩さんの母親がJNNの取材に応じた。
母と一人娘の母子家庭。 母親は希望を胸に中学校に通う娘の姿を見るのを楽しみにしていた。

爽彩さんの母親:
朝、学校の鍵が開く前に行く。先頭に並んで開くのを待つのが好きな子でした。
(中学も)最初の方はワクワクしている感じというか、やる気に満ち溢れている感じ。将来生徒会に入りたいから学年委員長やる。部活もやりたいし、塾も通いたい、英会話もやり続けたい、全部やりたいっていつもキラキラしている感じ。

娘の異変を最初に感じたのは2019年、中学入学から間もなくのことだった。

爽彩さんの母親:
4月の後半、5月のはじめあたりから様子がおかしくなって、部屋に籠るようになった。泣いたり、誰かにごめんなさいって言ってるような声が部屋から聞こえるようになった。

爽彩さんは夜の公園などに同じ学校や他校の上級生数人から呼び出されるようになった。母親が止めると怯えて泣き出したという。母親はいじめを疑い中学校に相談した。しかし・・・。

爽彩さんの母親:
(担任は)『ふざけて呼んだだけです』とか『あの子たちはおバカな子で選挙カーを見ただけでも追いかけるような子だから気にしないで下さい。いじめはありません。ふざけただけです、仲のいい子なんです』っていう説明をされました。

そして6月。母親の疑いが確信に変わる出来事があった。爽彩さんが川に飛び込み、自殺を図ったのだ。当時、現場では10人ほどの生徒や児童が爽彩さんを囲んでいたという。

爽彩さんの母親:
携帯が学校から鳴って、先生も慌てた様子で『公園横にある川に来てください』と。『爽彩ちゃんが川に入っている』という連絡を受けて。

爽彩さんは精神的なダメージを受け、その日のうちに入院。心配になった母親が、爽彩さんの携帯電話を確認すると、そこには爽彩さんのわいせつな画像や動画がいくつも残されていた。上級生らに撮影を強要されて、SNS上で拡散されていたのだ。

爽彩さんの母親:
携帯を見て、もう気が気じゃなくて、すぐに警察に言わなきゃ、これは事件だってなって。教頭先生が『まず警察に行く前にまず僕たちにもみせてください』と。そこで教頭はLINEのやりとりを写真で1枚1枚撮って、『学校もこれ調べます』と伝えられた。

画像のやりとりを確認した警察は捜査を開始。少年1人が児童ポルノ禁止法違反に違反する疑いがあったが、14歳未満で刑事罰には問えないため、触法少年として厳重注意しただけで終わった。
一方、学校はいじめとすら認めなかった。爽彩さんの自殺未遂から約2か月後の2019年8月、母親は教頭との面談でこう言われたという。

爽彩さんの母親:
『学校としてはいたずらが過ぎただけであっていじめではないし、悪気があったわけではない』と伝えられました。何度も。『じゃあ何をされたら、どこまで何をされたらいじめですか?もっとひどいことをされなければいじめにならないんですか』って聞きました。
でも教頭は『いま加害者と言われている子にも未来があるんです』『お母さんはどうしたいんですか?』と何度も『お母さんはどうしたいんですか?』できないのはわかっているけど『娘の記憶を消してください』って。『お母さん大丈夫ですか?頭おかしくなっちゃったんですか?病院行った方がいいですよ』と言われました。

教頭はさらにこう続けたという。

爽彩さんの母親の手記より教頭のコメント
「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか」

本当にこんな発言をしたのか。教頭はJNNの取材にこう回答している。

教頭の回答文書
「調査の中で、私個人の対応や発言につきましても、事実関係(記録等)に基づいて誠実に報告させていただく予定です」

2019年9月、学校と旭川市教育委員会は「いじめと認知するまでには至らない」として調査を終了した。その直後、旭川の地元誌が爽彩さんの自殺未遂の背景に「いじめ」があったと報道。
すると学校は校内向けにいじめを完全否定する文書を作った。

校内文書のコメント
「ありもしないことを書かれ、生徒の皆さん保護者の皆さん・先生方も含め、みんなが心を痛める状況となりました。根も葉もない記事に関してどこの誰が関わっているだとか、間違った情報がライン等で回っているとのことです」

爽彩さんは病院を退院すると旭川市内の別の中学へ転校した。だがPTSD=心的外傷後ストレス障害に苦しみ、学校に通えない状況が続いた。

爽彩さんの母親:
『本当は学校に行きたいけど、生徒たちが怖い。目が合うだけでも怖い』っていつも言っていて。買い物とかも同年代の子を見るとおびえてしまったり怖くなったり、白目むいちゃって泡ふいたりとか。

■ネット上の友人に語ったいじめの惨状 少女が自ら命を絶つまで

爽彩さんはインターネット上で知り合った友人に自分が受けたいじめについて打ち明けるようになった。

爽彩さんがネット上の友人に送ったメッセージ
「会う度にものをおごらされる。最高1回3000円、合計1万円超えてる」
「性的な写真を要求される」
「精神的に辛いことを言われる。今までのことバラすぞなど」
「いじめてきてた先輩に死にたいって言ったら『死にたくもないのに死ぬって言うんじゃねぇよ』って言われて自殺未遂しました」

男性が進路相談を受け付ける内容のインターネット上ライブ配信で2020年11月、爽彩さんはいじめを受けていたと告白していた。

爽彩さんの声:
いじめを受けていたんですけど、そのいじめの内容が結構きつくて、なかなか納得がいかないっていうか、処理できないっていう気持ちになってしまってて。
すごい簡単に内容を説明しますと、まず先輩からいじめられてたんですよ。先輩にいろんなものをおごったりとか、ちょっと変態チックなこともやらされたりとかもしたんですけど。そういうのにトラウマがあって学校自体に行けなくなってしまって。
学校に行くためにはどうしたらいいんだろうって考えたときに何も自分じゃ思いつかなくて、学校側もいじめを隠蔽しようとしていて。人が怖いし、人と話すのも苦手だし人に迷惑かけるのも怖いしみたいな感じになってしまっていて、人に迷惑かけることとかがいけないことだって思ってる節が私の中であって。
私自身すごいメンタル状況が不安定で、学校に行くと1~2時間でギブアップしちゃうんですよ、基本的に。

この頃、爽彩さんは高校進学に向けて少しずつ前を向き始めていた。

爽彩さんの母親:
12月の後半というか正月に近い時期に『高校に行きたい』と食事中に言われて。私はその時すごくうれしくて。
なんかよくなったんだな、まわりの友達に電話で自慢するくらい・・・良くなったなって思っていたんですけど・・・。

しかし・・・今年2月13日。

爽彩さんのメッセージ
「ねえ、きめた。今日死のうと思う。今まで怖くてさ。何も出来なかった。ごめんね」

爽彩さんはネット上の友人にメッセージを残し、連絡を絶った。母親が仕事で外出したあと、爽彩さんは上着も着ずに家を出て行った。この日、旭川の夜はマイナス5度を下回る気温だった。
自宅から2キロほどの公園。雪の下から遺体が見つかったのは、1か月後のことだった。

いじめを訴え続けていた爽彩さんの声は、なぜ届かなかったのか。おととし6月、爽彩さんが自殺を図った現場を歩くとあらためて疑問が浮かび上がる。
許可を得て川へと降りた。土手を下から見上げるとその高さが分かる。10人ほどの子どもたちが見ている前で柵を乗り越えた爽彩さん。コンクリートの土手から、約4m下の河川敷に滑り降りた。

金平茂紀キャスター:
子どもたちが柵の上から見ていたということなんですけど、中には携帯電話で撮影していた子もいたみたいです。

そして、爽彩さんは川へ飛び込んだ・・・。

金平キャスター:
爽彩さんは事前に中学校に通報していたということなんで、先生も駆けつけたときには、ずぶ濡れの姿で引き上げられたと。当時の凄惨な状況は想像するしかないですけど。
それにしても、学校の先生や警察官や住民も見ていた中で、その後もずっと“いじめがなかった”とどうして言えたのかと、この現場の状況を見ただけでも思いますね。

■「いじめ」調査まで約2年 経緯に保護者から挙がる疑問の声

学校は、なぜ「いじめ」を認めなかったのか。爽彩さんの母親の代理人・石田達也弁護士は・・・。

石田弁護士:
誰がどう見てもこれに気がつかないのはおかしいでしょう、というシチュエーションがいくつもあるんですよ。もうシグナルじゃないんですね、もはや。もう目の前で起きている現象。それに気がつかない。いや、気がつこうともしない。
その特異性が今回の事件のポイントになってくる。いじめが『人を死に追いやる行為』だという深刻さを誰もその場にいた人たちが感じ取れなかった。

金平キャスター:
背景の一番の大きなもの、これは何だというふうに思いますか?

石田弁護士:
子供ではなくて学校を守っている。学校という組織を。

事態が急展開したのは今年4月。爽彩さんの遺体が見つかってから1か月後だ。
文春オンラインが死の背景にいじめがあったと報じた。学校や旭川市教育委員会には苦情や問い合わせが殺到。事態を重く見た旭川市長が調査に動いた。

旭川市 西川将人市長(当時):
どのようなことが事実としてあったのかをしっかりと調査する必要がある。もしいじめだということになれば、これまでの対応にどこか問題があったのだろうと。

市教委はいじめ防止対策推進法に基づく重大事態として第三者委員会を設置。ようやく「いじめの疑い」があると認めた。
ここまで2年もかかったのはなぜか。市教委はJNNの取材にこう答えている。

旭川市教委(取材に対して)
「事案に至る経緯や子ども同士の関係など、当時学校が調査した内容と報じられた内容が異なっていた。報じられた話が事実であるならば、重大事態であるということになった」

中学校が開いた保護者向けの説明会では疑問の声が相次いだ。

男性保護者:
あのおぞましい行為をいじめじゃなかったと判断している学校、この中途半端な説明会でどれだけみんなが納得しているのか。

学校や市教委にはいじめと認識して対応するタイミングがいくつもあった。
JNNが情報公開請求で入手した学校の内部文書。自殺未遂直後のおととし7月11日に作成されたもので、加害生徒への対応がこう記されている。

学校の内部文書
「生徒に対して、きちんと謝罪できる準備はできているのか?」
「今回の一連のできごとは、重大な事案であることを忘れてはいないか?」

爽彩さんを巡る一連の出来事について学校は文書に「重大な事案」と記していた。
さらに、旭川市教委を指導した北海道教育委員会の文書から重大な事実が分かった。学校と市教委がいじめと認知するには至らないとして、調査を打ち切った1か月後のことだった。道教委は学校はいじめと認知し、保護者と一緒に対応する必要があると市教委に指導していたのだ。

道教委の文書
「当該生徒がいじめではないと話していても、客観的に見ていじめが疑われる状況である。特に当該生徒が川に入った際、『死にたい』と繰り返し訴えていることから『心身の苦痛を感じている』ことが考えられる」

文書には再三指導を促すような道教委のメモ書きも残されていた。それでも再調査が行われなかったのは何故なのか。問題の背景に市教委と学校のいびつな関係があることを指摘する市議会議員もいる。

能登谷繁 旭川市議:
当時の学校長は元々教育委員会の幹部だったので、当時の(市教委)担当者たちはみんな部下ですよね。その逆転した関係というところも巷では言われている。

当時の中学校の校長は2016年まで市教委の学校教育部次長を務め、その後2018年に赴任していた。

能登谷 旭川市議:
第三者員会の調査を聞かないとわからないが、教育委員会は指導するために頑張った面もあるとは思う。全く言いなりだったとは思えないが、最終的には(校長に)押し切られていると言ってもいい。

11月10日、当初いじめの疑いすら認めなかったことについてJNNの取材に中学校はこう回答した。

中学校の回答(取材に対して)
「当時の校長の判断や認識等も含め、間違いがあったかもしれないということも前提に、現在、委員会の調査の中で検証いただいているところです」

爽彩さんの母親:
本当にあのことっていうのは私の中ではいじめじゃなかったらじゃあ何なんだろうっていうのがあったので、『疑いのある』って言われたときにすごく当たり前なんですけど、なんでもっと早くできなかったんだろう。
どうして入院している爽彩がいちばん苦しんでいる時期にそういう判断をしてくれなかったんだろう。

■広がる衝撃 いじめで息子を亡くした男性が語る無念

爽彩さんの死に、強い衝撃を受けた人がいる。10年前、滋賀県大津市でいじめを苦に、当時中学2年生の息子が自殺した男性。爽彩さんの死を沈痛な思いで受け止めていた。

大津市で自殺した男子中学生の父親(56):
初めて聞いたときは言葉で言い表せなくて、とにかく彼女は助けを求めたにも関わらずそれを助けない大人、教師がいるっていうこと。加害生徒だけではなく、教師に対してもいじめられた、見放された。

大津市の教育委員会は当初、いじめと自殺との因果関係を認めなかった。ところが自殺から9か月後、警察が市の教育委員会と学校を家宅捜索。そして生徒へのアンケートから重要な事実が明らかになった。
亡くなった息子が自殺の練習をさせられていたことや、手をひもで縛られ、口をガムテープで塞がれるなど悪質ないじめを受けていたのだ。その後、当時の市長のもとで第三者委員会が設置され、自殺から1年3か月後ようやく「いじめが自殺の直接的な原因」と認定された。

この大津事件がきっかけで2013年にできたのが“いじめ防止対策推進法”だ。法律には、父親の強い思いが込められている。

男子中学生の父親会見(当時):
息子には100%ではないけども、まずはここから、これからがスタートだと伝えたいと思います。

法律では、いじめを「児童らが心身の苦痛を感じているもの」と広く定義。いじめによって命が危険にさらされるなどの「重大事態」が起きた場合に、学校や教育委員会が調査をすると定めている。
ところが大津事件で息子を失った父親は、“いじめ防止法”が浸透していないと訴える。

男子中学生の父親:
資料を出さない。隠蔽、保身に走るという対応についても全く同じ。いじめ防止対策推進法ができても、(法成立から)8年たってもまだ起きる。もしかして息子の事件よりもっとひどい。かなりひどい。情けない。

父親は、さらに実効性のある法律に変えていく必要があると訴える。

日下部正樹キャスター:
いじめ防止対策推進法ができたときに、これは息子さんが作った法律だと胸を張っていってらっしゃいました。この思いは変わりませんか?

大津の父親:
変わりませんね。だから命がけで作った法律であれば、法律を実効性のあるものに。子どもの命が助けられる。そういうものにすることについては、私は使命だと思ってるので。

中学入学直後から凄惨ないじめを受けていた爽彩さん。今年4月になって、ようやく旭川市教委は、いじめの疑いがあるとして「重大事態」と認めた。
市教委は、“いじめ防止法”に基づいて第三者委員会を設置したが、調査は遅々として進んでいない。関係者への聞き取りは今月始まったばかり。報告がまとまる見通しは未だたっていない。
遺族側の代理人を務めている石田弁護士は、「第三者委員会」の在り方にも問題があると話す。

石田弁護士:
(第三者委員会の)設置者は教育委員会。教育委員会は、言ってしまえば調査を受ける側。設置する側から見て公平です中立ですっていう委員会。
じゃあ、被害者から見ての公平性中立性ってなんですかって。そこは顧みてもらえない状態。

第三者委員会のメンバー2人が調査対象者と関係があったことがわかり、調査から外れる事態となっている。石田弁護士は、誰のための法律なのか原点に立ち返るべきだと強調する。

石田弁護士:
子供を守りましょうということ。当たり前のこと。子供の命や健康や財産をいじめから守りましょう。被害者を守ってくださいという法律。被害者のための法律ですよ。被害者が二度と出ないようにする、これが本来のあるべき姿。

(報道特集11月27日放送より抜粋・編集)

オミクロン株 デルタ株などと別系統ウイルスに変異重なったか
デルタ株 とオミクロン株 比較


 新型コロナウイルスのオミクロン株について、専門家は遺伝子解析が十分行われていない地域でデルタ株などとは別の系統のウイルスに多くの変異が重なることで現れたと考えられるとしています。ウイルスの増殖に関わる遺伝子も変異していて、感染した場合に重症化しやすいかどうか詳しく調べる必要があるとしています。

「スパイクたんぱく質」の変異 デルタ株などの3倍ほど
慶応大学医学部の小崎健次郎教授のグループは世界中の研究機関から登録されたウイルスの遺伝情報のデータをもとに変異ウイルスの起源や変化、影響などを分析する研究を行っています。

小崎教授がウイルスの変化を分析したところ、オミクロン株は遺伝子解析が十分行われていない地域でアルファ株やデルタ株とは別の系統のウイルスに多くの変異が重なることで現れたと考えられ、最近まで検出されておらず、どこで生まれたのか分からないとしています。

またオミクロン株では感染するときの足がかりになる表面にある突起部分「スパイクたんぱく質」にある変異がおよそ30と、デルタ株などの3倍ほどあるほか、ウイルスが増殖する際に必要な酵素に関わる遺伝子の変異も起きていて、感染した場合に重症化するのかそれとも軽症でとどまるのか詳しく調べる必要があるとしています。

小崎教授は「オミクロン株は南アフリカの研究所が最初に報告したが、先行してヨーロッパで市中感染があったと示すデータもあり由来ははっきり分かっていない。ほかの変異ウイルスとの違いが多く病原性にどのような影響があるか解析が必要だ」と話しています。

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