【震災から10年】震災と原発事故 福島では / “奇跡の一本松” 震災10年の日の出 /仙台 若林区荒浜 海岸で朝の祈り
【震災から10年】震災と原発事故 福島では
東日本大震災の発生から10年となる11日、津波で、父親など家族4人を失った福島県の女性が、いまだ見つからない2人の遺骨の代わりとしている流木に手を合わせ、祈りをささげました。
福島県伊達市の高校教諭、橘内優子さん(55)は、南相馬市の実家に住んでいた、父の木幡利信さん(当時74)、兄の訓彦さん(当時50)、叔母の訓子さん(当時62)、おいの雄介さん(当時20)の4人を津波で亡くしました。
4人のうち、訓彦さんと雄介さんの遺骨は見つかりましたが、利信さんと訓子さんは見つかっておらず、橘内さんは実家近くの砂浜で手のひらほどの流木を拾って、2人の遺骨の代わりとしています。
流木は、橘内さんの自宅に遺影とともに置かれていて、震災発生から10年となる11日、橘内さんは出勤前に静かに手を合わせ、祈りをささげました。
橘内さんは「10年は1つの区切りではありますが、体の半分を失ったような心の痛みは今でも消えません。少しずつ日常を取り戻していく中で、震災の記憶も薄れてきていますが、子どもたちに教訓を伝えていくことも大切だと思っています。また、自分が元気でいることも、亡くなった人の供養になると思うので、毎日明るく暮らしたい」と話していました。
福島県南相馬市では、津波で祖父母を亡くし、原発事故で一時、避難を余儀なくされた男性が墓参りを行いました。
南相馬市では、震災の津波で636人が犠牲になったほか、原発事故で、小高区の全域などが一時、避難区域に指定されました。
その小高区に住んでいた、会社員の佐々木嘉一さん(35)は、震災が発生した時は仕事中で、祖父の眞太郎さん(当時82)と祖母のマサ子さん(当時79)の安全を確保しようと、すぐに車を運転して自宅に向かいました。
しかし途中で、津波が目前に押し寄せたことから、車を乗り捨てて高台に逃げ、その日は、自宅に近づくことができませんでした。
翌日には、原発から20キロ圏内にある小高区の全域に避難指示が出され、それ以降、自宅に戻れない状態が続き、2人を捜すことができなかったといいます。
その後、山形県などへの避難を余儀なくされ、震災発生から3か月後、南相馬市の避難先から毎日のように遺体安置所を訪れた結果、2人の遺体を確認したということです。
佐々木さんが2人と最後に会ったのは、震災が発生した日の朝で、眞太郎さんからタバコを買うよう頼まれて預かった、1枚の1000円札が形見となりました。
震災発生から10年となるきょう、佐々木さんは早朝、職場に行く前に、南相馬市の高台にある2人の墓地を訪れ、祖父母の好きだったというコーヒーやたばこなどを供えて静かに手を合わせていました。
佐々木さんは、自宅が津波で被災したあと、行方が分からなくなった2人を捜索することすらできなかったことを、今でも悔やんでいるということです。
佐々木さんは、「自分は、祖父母の代わりに生かされた命だと思っています。復興といっても、とらえ方は人それぞれで、元どおりにはならない。かつて以上の生活になるよう努力していきたい」と話していました。
沿岸部の広い範囲が大きな被害を受けた福島県浪江町の高台にある「大平山霊園」では、朝早くから祈りをささげる人が訪れていました。
震災後、地元から避難し、現在は新潟県柏崎市に住む石川忠正さん(69)は友人3人や親族2人が津波に巻き込まれたということで、お墓の前で線香をあげて手を合わせていました。
石川さんは「10年は長いようで短かった。友人は3人ともまだ見つかっていないので早く見つかってほしいと思って祈りました」と話してました。
霊園からは午前6時前ごろ海に広がる雲から昇る太陽が見られ、福島県内で初めて建物の震災遺構として保存されることが決まった請戸小学校の校舎が照らされていました。
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“奇跡の一本松” 震災10年の日の出
東日本大震災から10年となる11日、岩手県陸前高田市では津波に耐えて残った「奇跡の一本松」を朝日が照らしだしていました。
「奇跡の一本松」は、震災前におよそ7万本の松林が広がっていた陸前高田市の高田松原で津波に耐え、ただ1本残った松で、多くの人を勇気づけたことで知られています。
震災後、枯れてしまったあともモニュメントとして保存され、陸前高田の復興のシンボルになってきました。
11日朝の陸前高田市は、穏やかな朝を迎え、午前6時前に太陽がのぼってくると、静かにたたずむ一本松を照らしだしました。
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仙台 若林区荒浜 海岸で朝の祈り
仙台市若林区の荒浜地区では、日の出とともに海に向かって手を合わせる人の姿が見られました。
震災で中学、高校時代の同級生を亡くした仙台市太白区の52歳の女性は
「亡くなった友達やいまでも行方不明の職場の方がいます。そういう人のことを決して忘れてはいけないと思います。ここはよく朝日を見にくるところですが、きょうで終わりでなく、きょうから11年目が始まる。気持ちを新たにする自分の中で節目の朝になりました」と話していました。
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