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岡山 中心 グローカル 地域目線で、世界を思考していきたいですね!地域の紹介、世界の話題を考える。岡山県の善さをアピールしつつ・・そんな感じで・・ね。旅行、グルメ・B級グルメ・・、パワースポット・・、iPhone やAndroidに役立つ情報も・・(ジャニーズ ファンだった! あの日までは)

2018年06月

W杯ハーフタイムに水道量急増  (岡山市や倉敷市)


  サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会に熱い視線が注がれる中、岡山市や倉敷市で日本代表の試合のハーフタイム中に水道使用量が増えている。試合中継にくぎ付けになった市民が、トイレやシャワーを一斉に使っているようだ。 セネガル戦があった日本時間25日未明。倉敷市では市内最大の「浅原配水池」(同市浅原)の配水量が、午前1時すぎに毎時約450立方メートルを記録し、前日同時刻の2倍超となった。市水道局によると、各家庭での使用と配水にはタイムラグがあり、ハーフタイム(同0時45分すぎから15分間)中にトイレなどに駆け込んだのが要因とみられる。 岡山市でも、25日午前0時45分ごろの水道使用量(旧市域)はその5分前の約1・5倍に急増した。19日のコロンビア戦も、ハーフタイム中は前半より最大で3割近く増えている。 28日はいよいよ決勝トーナメント進出が懸かったポーランド戦。市民の期待と水道使用量はさらに膨らみそうだが、両市の水道局とも「安定供給に影響はない」としている。

岡山 三丁目劇場跡地再開発に東京の不動産会社 (フージャースコーポレーション)


岡山市北区の三丁目劇場跡地を含む地区の再開発で、準備組合が東京に本社を置く不動産会社と事業協力に関する協定を結ぶことになりました。

再開発の協力事業者に決まったのは、東京に本社を置くフージャースコーポレーションです。
新築マンションの分譲のほか、岩手県や北海道などで再開発事業も手掛けています。
地権者らでつくる再開発準備組合では、三丁目劇場が閉館した後の賑わい作りや地域の活性化を目指し、再開発事業の実績などを持つ事業協力者を公募し、複数の応募のなかからフージャースを選んだということです。
来月4日に調印し、店舗や住宅などが入る複合施設の整備を軸に、計画作りを進め来年度の都市計画決定を目指すとしています。
表町周辺では、新しい文化芸術施設が計画されている千日前地区で再開発事業が進んでいます。

6月岡山市議会最終日 JR吉備線LRT化の計画策定予算など可決


 6月定例岡山市議会は、28日が最終日で一般会計補正予算案などを可決して閉会しました。

 28日の本会議では、9億7500万円あまりの一般会計補正予算案が賛成多数で可決されました。

6月岡山市議会最終日 JR吉備線LRT化の計画策定予算など可決
岡山市 大森市長
 この中には、JR吉備線のLRT化に向けた基本計画案策定の費用3600万円が盛り込まれています。

 また、私立保育園での2歳児の一時預かりや、私立の認定こども園の整備費用1億5500万円なども盛り込まれています。

 また、佐々木正士郎副市長が2年の任期を残し、7月9日に退職します。後任として、総務省・地域通信振興課長の加藤主税さん(48)を選任することに同意しました。

 加藤さんの任期は、7月17日からの4年間です。

岡山 「桃太郎伝説」日本遺産認定を地域活性化の起爆剤に!官民が推進協議会


岡山の「桃太郎伝説」が日本遺産として認定されたことを受け、観光客誘致や地域活性化に生かすための官民連携の協議会が設立されました。

 岡山市で開かれた協議会設立のための総会には、岡山、倉敷など4つの市とそれぞれの市の商工会など、58団体の代表者が出席しました。

(岡山市/大森雅夫 市長)
「市民の誇り、かつ観光資源として、地域活性化の起爆剤にしていければ」

「桃太郎伝説」日本遺産認定を地域活性化の起爆剤に!官民が推進協議会
今後年に1、2回開かれる予定
 推進協議会は今年度の事業計画として、桃太郎伝説のPR動画や、子どもたちに日本遺産の魅力を伝えるための学習漫画を作ることなどを目指すとしています。

 「桃太郎伝説」とは27件の文化財と、吉備津彦命による鬼退治のストーリーを結びつけたもので、文化庁が5月、日本遺産に認定しました。

 推進協議会は今後年に1、2回開かれる予定です。

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岡山空襲後に校舎を官公署に貸与

  太平洋戦争末期、1700人以上の命を奪った岡山空襲から29日で73年。当時の様子をうかがう資料や痕跡は今も多く残され、戦争の悲惨さを私たちに伝えている。  ◇ 1945年6月29日の岡山空襲の直後、就実高等女学校(現就実中・高、岡山市北区弓之町)が、被災した官公署や電力会社などに校舎の一部を貸したことを記録した文書が同校の「沿革史」として残されている。市中心部が甚大な被害を受けた中で、行政やインフラ機能を維持しようとした様子がうかがえる資料だ。 沿革史は年代ごとにつづられてきた文書で、現在はファイルにまとめて保管している。空襲当時のものは、B4サイズの古い薄紙に毛筆の漢字片仮名交じり文で書かれている。 沿革史によると、45年6月29日の「岡山市空襲罹災(りさい)」で、同校は難を逃れた。同年8月31日に中国配電(現中国電力)に校舎の一部、県農業会に体育館、県燃料統制組合に「地、歴、生理教室」を貸与。翌46年1月17日には体育館を岡山郵便局に貸すなどした。 就実学園の石田省三企画監は「市街地の6割が焼け、助け合わなければならない状況下で、当時の学校関係者は要請に対して協力を惜しまなかったのだろう」と推察。卒業生の80代女性は「体育館に郵便局が入っていたことを覚えている。譲り合って教室を使っていたような記憶がある」と振り返る。 岡山市史によると、岡山空襲で市街地の多くの官公署や重要施設が焼失。戦災に備えて事前に決めていた移転先も焼け、無事だった建物に交渉して移ったケースも少なくなかったという。同市岡山空襲展示室(同市北区駅元町)の猪原千恵学芸員は「空襲前後の状況が分かる貴重な資料。当時の官公庁、企業などの文書は失われているケースが多く、現存しているのは珍しい」としている。

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