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2022年08月

バブルの時代前後(動画?)X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏▼ディスコブーム編 (バブルな世代 「東京13区」=「アメリカの国」価格・価値?)
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動画
X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏 ディスコブーム編 2022年8月30日放送分
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京都 マハラジャ伝説 MAHARAJA00


 一大ブームを巻き起こした関係者が一夜限りの同窓会を開催。今回のテーマは「ディスコブーム」。「混沌の箱」で夜な夜な熱狂した関係者たちが舞台裏を語りつくします。
番組詳細
MC:カズレーザー(メイプル超合金)  立会人:甘糟りり子(作家)<関係者>DJKOO(DJタレント)田中美奈子(女優)川合俊一(日本バレーボール協会会長タレント)

一大ブームを巻き起こしたベストセラー商品や、社会現象となったプロジェクトの関係者が一夜限りの同窓会を開催。  遡ること38年。  地下鉄が開通前の1984年、「陸の孤島」と呼ばれていた東京・麻布十番に若者が夜な夜な集う場所がありました。それが後に社会現象と呼ばれるほど人気となったディスコ「マハラジャ」。流行の最先端を行く若者が膨大なエネルギーを注ぎ込み、「ディスコブーム」が誕生しました。

その後も隆盛と衰退を繰り返しながら日本独自のディスコ文化を形成し1991年には、その象徴とも言える伝説のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンし新たなブームを生み出しました。今回は言ってみれば「ただの夜遊び」とも言える“混沌の箱”ディスコに若者たちは何故、熱狂し冷めてしまったのか!?DJ歴42年目となるディスコの生き字引、DJ KOOさんを始め、ディスコをこよなく愛した関係者たちと当時の裏側を語り尽

くします。

新井勝也、大田善紀

女子会トーク 旧教会と地方政治 徹底して調べ 関係を断て/ 統一教会信者たちが効いてないアピール「『ミヤネ屋』見て笑ってます」“自民と蜜月”&“山上家への感情”も直撃!

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旧統一教会 萩生田氏”別の会合”で講演【報道特集】

旧統一教会献金の実態は?内部資料独自入手【報道特集】


鈴木エイト氏が自民党・萩生田光一氏への取材「最近はもう壺も売っていないし」 2019年の参院選の選挙戦中

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旧教会と地方政治 徹底して調べ 関係を断て


 地方政治にも、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が食い込んでいる一端が見えてきた。本紙取材によると県議57人のうち13人、県内19市長のうち9人

が関連団体などと関わりを持っていた。県議は全体の2割超、市長は半数弱に上る。

 教団と関連団体を巡っては国会議員との接点が次々と判明し、自民党との根深い関係が徐々に明らかになっている。県議も会派別で自民党県議団が突出している。

 具体的な関わりは県政報告の実施、関連団体の会合やイベントへの出席、メッセージを送るなど。

 その理由をこう説明している。平和祈念などの趣旨で断る理由がない。主催者が関連団体とは知らなかった。教団による被害も近年は話題になっていない、と。

 安倍晋三元首相の銃撃事件でにわかにクローズアップされたものの、教団側との関係がなぜ問題視されるのか分からない―。そんな本音が透けて見える。

 だが、その程度の認識では困る。

 旧統一教会は悪質な資金集めで数々の問題を引き起こし、反社会的とされる団体だ。物品を高額で売り付ける「霊感商法」の被害者は、県内にもいる。

 高額の献金を巡るトラブルは、過去のことではない。

 銃撃事件が起きた7月、被害者家族の会に寄せられた相談は、前の月の12倍近くに膨らんだ。「家族が5億円以上献金した」と話す人もいた。

 県内各地に教団の拠点がある。議員や首長がイベントに出たりメッセージを送ったりすると、「政治家も認めている問題のない団体」として活動にお墨付きを与えるおそれがある。被害者を傷つけるだけでなく、新たな被害を生み出しかねない点が重大だ。

 2人の市長が教団側から選挙応援を受けていたことも見過ごせない。候補者の信頼に関わる事柄だが有権者は確認のしようがない。

 議員や首長は、自ら教団側との関わりを徹底して調べ、公表すべきだ。

 県会は自浄能力を発揮し、実態解明に取り組んでほしい。その上で関係の清算が求められる。

 教団の歴史や活動の実態について「知らなかった」のだとすれば、政治家として情報収集能力の欠如と判断力の甘さを猛省しなくてはいけない。まずは被害者の話を聴き、学んではどうか。

 県議や市町村議、首長の選挙が集中する統一地方選が来年春に控える。この問題とどう向き合うか。有権者も目を注ぎたい。

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2022年8月10日

旧統一教会側、地方選で候補者の妻にも接触 旧民主の元衆院議員が明かす



安倍晋三元首相への銃撃事件をきっかけに、現職閣僚を含め、政治家と世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関係が次々と明らかになっている。旧民主党で衆院議員を務めた井戸まさえ氏もかつて、政治家の妻として教団の関連団体と接点を持ち、教団側が選挙を通じて候補者に近づき、協力する様子を垣間見てきた。政治家と宗教団体の関係について聞いた。(聞き手・大野暢子)
 ―教団との接点は。
 「個人的に旧統一教会との付き合いはないが、1991年ごろ(教団の政治団体)国際勝共連合の本部で、当時の夫とともに幹部と面会した。夫は神奈川県議選で落選した直後で、支援を求めて各団体を回っていたところ、先輩に協力を求めるよう勧められた。『共産主義に勝つ』というスローガンが、保守系の政治家を中心に受け入れられていた」
 ―その後は。
 「面会した幹部から『地方組織につなぐ』と言われ、後日、妻の私は婦人部の会合に呼ばれ、複数の女性から家庭を守ることの大切さを説かれた。違和感を抱き、個人的に関係を断った。夫は次の県議選に向けて自民党の公認獲得を目指しており、一緒に自民候補の国政選挙の応援をした際には、勝共連合の関係者が応援に来ているのを見た」
 旧統一教会と国際勝共連合 旧統一教会は故・文鮮明氏が1954年、韓国で創設。68年には、文氏が日本と韓国で旧統一教会の政治団体との位置付けで、共産主義の打倒を掲げる国際勝共連合を設立した。安倍元首相が今年7月、街頭演説中に銃撃された事件で、逮捕された山上徹也容疑者は、母親が旧統一教会に多額の献金をしたことで教団に恨みを募らせ、教団との関係が深いと思った安倍氏を襲ったと供述しているとされる。

 ―自身が政治家になってからは。
 「私が民主党の兵庫県議を務めた2005~09年、文教委員会に所属したこともあり、家庭や子育てをテーマにした行事の案内がよく届いたが、旧統一教会の教義と重なる内容の行事は関与を避けた」
 ―旧統一教会系の団体かどうかは見分けられるか。
 「関連行事への祝電や出席が判明した政治家が『旧統一教会に関係があると知らなかった』と釈明するケースもあるが、よく確認すれば団体名がぼかされていても分かる。本当に知らなかったとしたら危機管理ができておらず、機密を扱う政治家は務まらない」

 ―なぜ関係が続くのか。
 「宗教団体との関係づくりは、地元活動の一環だとされる。支援団体や獲得党員、集会参加者が少ない政治家は評価されない。動員や集票の依頼に対し『何人出せます』『何票は固いです』と数字を示してくれる宗教団体は安心材料で、心のよりどころになる。当落線上の人はなおさらだ」
 ―問題のある団体と政治家の癒着を断つには。
 「全ての候補者に対し、どのような団体から推薦や支援を受けているかの情報公開を何らかの形で義務化する。個人の信教の公表を迫るものではなく、『候補者がどんな団体から支援を受けているか』『その中に問題のある団体はないか』という有権者の知る権利に応えるためだ。政治家を選ぶ際の基礎情報として保障されるべきだと思う」
 いど・まさえ 1965年生まれ。東京女子大博士課程修了(生涯人間科学)。東洋経済新報社、兵庫県議を経て、2009年衆院選に兵庫1区から民主党候補として出馬し、初当選し、1期務めた。東京へ地盤を移し、17年に結党した立憲民主党へ合流。昨年10月の衆院選で、東京15区から出馬して落選。


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統一教会信者たちが効いてないアピール「『ミヤネ屋』見て笑ってます」“自民と蜜月”&“山上家への感情”も直撃!


「私たちは、安倍元首相を尊敬していました。銃撃されたときは本当にショックで、みんなで命が助かるようお祈りをしました。祈りが通じず悲しい思いをしていたら、今度は犯人と教会との関係が出てきて、二重にショックでした」

日曜礼拝の最後に担当者が回す献金袋



 そう語るのは、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の幹部信者・Aさんだ。

 安倍晋三元首相(享年67)が凶弾に倒れてから、1カ月半。だが、山上徹也容疑者(41)が憎んだ統一教会の内情は、ほとんど漏れ伝わってこない。

 関西在住の“アラサー”の現役女性信者・Bさんが語る。

「信者が内情を語らないからといって、教会が箝口令を敷いているわけではありません。むしろ、うちの教会長は『積極的に発信したらいいよ』っていう柔軟なタイプです。私も、事件をきっかけにツイッターのアカウントを開設しました。信者が内情を語らないのは、あくまでテレビなどメディアの上での話なんです」

 約50年前に両親が統一教会に入信し、40年前に合同結婚式で出会って生まれたBさんのような信者は「祝福2世」と呼ばれる。Bさんは現在、正社員として働いているという。

「幸い、今の会社は社内にテレビを置いておらず、勤務中に『ミヤネ屋』など、教会を叩いている番組が見られる環境ではありません。これまで私は、学校で先生からイジメられたり、友達が離れていったりしてきました。今の会社では、信者であることは絶対に言えないですよ」

 Bさんは信者であることを明かさず、この日は会社の送別会で盛り上がる予定だという。

 また、30代の女性信者・Cさんは、自民党議員と統一教会との“濃厚接触”報道で、むしろ安堵したという。

「じつは、よけいな出費が減って助かっているんです。集会に参加するごとに献金する決まりなのですが、事件のあった週末からはマスコミが来るという理由で、集会は休みになっているのです。すでに月収の10%を献金しているので余裕はなく、熱心な信者である両親はともかく、私はホッとしていますね」

 両親は合同結婚式で結ばれた祝福家族ではないため、教団内で厚遇されることはなかった。しかし、収入のほとんどを献金し、さらに壺や宝石、教祖のポストカードなどを大量に買っていたという。

「母は土日に私の手を引いて、魚介類の干物を訪問販売していました。教会系企業から仕入れて、利益だけではなく売り上げのすべてを、また献金していました」

 仕入れ代金がまるごと教会に戻ってくるのだから、教会が訪問販売に力を入れるのも当然だ。しかし、Cさんは教団に固執する両親のことを子供のころから不思議に思いながらも、2世信者として献金を続けることには疑問を持たないようだ。

「安倍元首相の狙撃犯は統一教会信者の家族だ」という第一報は、事件発生から2時間くらいたった段階で、食口(統一教会仲間)のLINEグループに回っていたという。

 しかし、関東在住の40代男性で、同じく2世信者のDさんは、まだ犯行と教団との因果関係について納得しきれたわけではないそうだ。

「私は、教会の存在が襲撃事件の一因にはなっても、それだけで山上容疑者が安倍元首相を殺害するに至るというのは納得できません。私が信者だからこう思うのかもしれませんが、もともとの親子関係や家庭内での教育といった、別の要因も考える必要があると思います。かといって、山上家を責めたくはありませんし、複雑な心境です」

 Dさんは「高額献金など、教会にも問題はある」と率直に認めつつ、不必要な批判が誤解や偏見を生んでいると語る。

「こういうことを言うとマインドコントロールされていると言われるのでしょうが、ここを好機とばかりに、教団の“あることないこと”がテレビで当たり前のように言われていて、いち信者としてフラストレーションが溜まります。一方で、批判的な姿勢で知られるワイドショー、とくに『ミヤネ屋』なんかはあまりに偏向的で、見ていて思わず笑っちゃいますね」

 日本脱カルト協会の理事で日本基督教団・白河教会の竹迫之牧師は、信者が報道について一様に“あることないこと”と表現していることに引っかかりを覚えるという。

「もし“ないこと”なら、堂々と反論すればよいのです。現在は教団がしでかした“あること”について盛んに批判されているのに、まともに答えないからこそ、さらにツッコミが苛烈になっている状況です。霊感商法などについて“過去のこと”と水に流したいのなら、『その過去の被害を回復するために、現在の全財産を献げる覚悟があるのか』と問い質したくなります」

 8月10日、統一教会の田中富広会長は、記者会見で「過剰なメディア報道で、信徒からさまざまな被害が報告されている」と述べた。

 前出のAさんが語る。

「教会の電話は抗議や無言電話で鳴りやみません。教会の前で自転車を止めようとした女性信者が、『朝鮮人死ね』と言われたこともあります。本部にはカミソリなども送られてきています。もっとも、脱会しようという人がいるとは聞いていません」

 ジャーナリストの鈴木エイト氏は、目が覚めない現役信者の実態と、教団への誹謗中傷についてこう語る。

「統一教会の信者数は公称60万人ですが、実際は10万人しかいません。田中会長が7月の集会で『動揺しないで。献金はとても大切な行為です』と訴えているように、信者の繋ぎ留めに必死なんです。8月の記者会見で田中会長は、教団に対して『街宣車での大音量による罵声があった』と訴えましたが、現役信者に聞いても『そういうことはない』と言っていました。かなり“盛ってる”んじゃないかと思います」

 教団本部に勤める職員・Eさんは、諦め顔で本音を打ち明けた。

「統一教会の職員が転職できるわけもなく、このまま続けるしかありません。本部前に詰めているメディアが、昼どきになっても施設から職員の出入りがないことについて疑問を口にしていましたが、職員はみんな、持参した弁当を食べているんです。コンビニ弁当は高くて買えないです。10年以上、毎日の3食がうどんだった先輩もいますよ」

 先細りは食い止められそうにない。



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旧統一教会と元安倍晋三首相との関係
旧統一教会と政治_1
自民党と旧統一教会
統一教会の関連団体
統一教会?関係をたつ
統一教会の政治介入計画
岡山 統一教会が関与00
岡山 統一教会が関与01

岡山県 旧統一教会と議員関係?00
岡山 旧統一教会と議員関係?01
岡山 旧統一教会と議員関係?02
岡山 旧統一教会と議員関係?03
岡山 旧統一教会と議員関係?04
岡山 旧統一教会と議員関係?05

 旧統一教会 国会議員??
旧統一教会問題 萩生田 生稲
旧統一教会 萩生田氏

萩生田氏の疑惑
はぎゅうだ光一後援会事務所から旧統一教会00
はぎゅうだ光一後援会事務所から旧統一教会

自民党と旧統一教会 金銭リスト00
自民党と旧統一教会 金銭リスト? 01
自民党と旧統一教会 金銭リスト?02
消費者庁 検討会の委員
消費者庁 検討会の委員 山上容疑者

旧統一教会行事に山際大臣
岸田首相の「検討使」(菅首相)

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 旧統一教会名称変更 下村元文部科学大臣の関わりは?
旧統一教会 名称変更?




 旧統一教会が「世界平和統一家庭連合」に名称を変更したのは2015年。
当時、文部科学大臣だった自民党の下村氏は自身の関与を否定する一方で、元文部科学事務次官の前川氏は下村氏の意思が働いていたと主張しています。
名称変更の経緯と、関係者の発言をまとめました。



名称変更の経緯は


旧統一教会のように、複数の都道府県で宗教活動用の施設を持つ宗教団体が名称を変更するには、文部科学大臣宛てで文化庁に申請を行い、認証を得る必要があります。

文化庁は、出された申請が法律などに適合しているかを審査し、認証するか、しないかを決定します。

文化庁によりますと、旧統一教会からは1997年以降、「世界平和統一家庭連合」への名称の変更について複数回、相談を受けていたということです。

そうした動きを受けて、全国霊感商法対策弁護士連絡会は、統一教会が関係する霊感商法や献金の強要などのトラブルが相次いでいるとして、名称変更を認めないように繰り返し求めていました。

2015年3月に文化庁などに送った申し入れ書では「宗教団体であることさえ判らない名称で、宗教の勧誘であることに気づかないように仕組んでいる」などと訴えていました。

その3か月後、最初の相談からは18年後の2015年6月、旧統一教会は文化庁に名称変更についての正式な申請を初めて出し、文化庁は2か月後の2015年8月に認証を決定しました。

文化庁によりますと、名称変更の手続きは通常、部長の決裁で済むので大臣に報告しませんが、旧統一教会から申請を受けたときは、担当者が当時の下村文部科学大臣に報告したということです。

また、申請が認められる前の2013年から2014年にかけて、旧統一教会と関わりがある世界日報社の月刊誌でインタビューなどに応じていたほか、2016年には下村氏が代表の政党支部が、世界日報社の社長から6万円の献金を受けていました。

川井弁護士「隠して教義を広げることに拍車」


名称変更を認めないように申し入れをしていた全国霊感商法対策弁護士連絡会の川井康雄弁護士は7月29日の記者会見で「統一教会であることや宗教団体ということを隠して教義を広げ、信者にするという方法を取っていたが、それに拍車をかけたのが名称変更だった。私たちは名称変更の5か月くらい前に文化庁に認めないよう申し入れをしたが、結局、認めてしまった」と話しています。

旧統一教会 “創立当時から今の名称考えた”


一連の経緯について「世界平和統一家庭連合」は、これまでの声明の中で「創始者は統一教会の創立当時から、今の名称を使用することを考えておられた。“世間の批判をかわすため”に名称を変えたかのような批判は、事実無根の的外れな憶測、決めつけにすぎません」とコメントしています。


また、「世界平和統一家庭連合」の田中富広会長は、8月10日の記者会見で、2015年に現在の名称に変更した際に、政治的介入があったのではないかなどと指摘されていることについて「文化庁に何度も相談を重ねたが、対応が変わらなかったので、申請を拒絶するなら訴訟もやむをえないと決意し、法律の専門家による意見書を添えて意思表示をした」と述べ、適法に処理され、政治的介入や不正はなかったと主張しました。

下村氏 自身の関与を否定も「責任感じる」



当時、文部科学大臣だった自民党の下村博文氏は、8月3日、記者団に対し「文化庁の担当者から『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。なぜ、それまで申請がなかったのかは、文化庁の当事者に説明してもらいたい」と述べました。

そのうえで「文化庁の担当者からは『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」と述べ、自身の関与を改めて否定しました。

そして「旧統一教会との関わりあいはない。関連団体と言われる『世界日報』の社長から2016年に6万円の献金を受けたことはあるが、認証問題とは全く関係ない。旧統一教会との関係は、関連団体も含めて、政治家は襟を正しながら距離を置くことが必要だ」と述べました。

さらに8月4日には、名称変更により、霊感商法や献金の強要などの被害が広がったのではないかと指摘されていることについて「教会が名称変更によって新たな信者や国民に迷惑をかけるようなことをするとは想像できなかったが、結果論として問題が出てきているとしたら、今となっては責任を感じる」と述べました。

また、名称変更を認証した際の文化庁の文書などが、一部黒塗りで野党の議員に開示されたことについて「私が黒塗りにさせたような報道があるが、そんなことはありえない。非常に迷惑で、ぜひ黒塗りをなくして出してほしいと文化庁に話をした」と反論しました。

そのうえで、下村氏は「私自身、教会と関係はなかったが、関係団体の『世界日報』などの取材を受けたことはあった。今後は、関係団体を含め一切の関係は断つと明言したい」と主張しました。

末松前文科相「当時の下村大臣 政治的判断せず」



末松前文部科学大臣は、8月5日の記者会見で「宗教法人法上、申請を受理するにあたって、形式上の要件以外を理由として拒むことは、行政上の不作為として違法性を問われるおそれがあると認識している」と述べました。

そのうえで、1997年・平成9年に教会側から名称変更の相談があったものの、2015年・平成27年になって申請を受理したことについて「平成9年の相談は、結果として申請書の提出がなく平成27年まで申請してこなかった。平成27年に申請書が出された理由は承知していない」としています。

そして、当時の下村大臣に対し、申請を受理する前と認証の決定前に担当者から報告が行われたことを明らかにしたうえで「社会的に注目度の高い法人だったので報告したもので、文部科学大臣が、政治的な判断を行ったものではない。当時の文化部長から確認しているが、下村氏から何ら指示などはなかった」と述べました。

名称変更を認証した際の文化庁の文書などが、一部黒塗りで野党の議員に開示されたことについては「変更理由に関する情報は、当該法人、および所轄庁以外が知りえないものなので、公にすることで当該法人などの権利、競争上の地位、その他、正当な利益を害するおそれがあるものに該当するものとして、不開示としている」と説明しました。

さらに8月8日の記者会見では、末松前文部科学大臣は「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」と述べました。

前川元文科次官「下村氏の意思が働いていた」



立憲民主党や共産党、れいわ新選組などは、8月5日、前川喜平・元文部科学事務次官からヒアリングを行いました。

この中で前川氏は、1997年に旧統一教会側から名称変更の相談が寄せられた際、担当の文化庁宗務課長として、部下の職員から報告を受けていたと説明しました。

その上で「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできないとして、認証できないと伝え、『申請は出さないでください』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」と述べました。

そして前川氏は、18年後の2015年に文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝えたと明らかにしました。

この時の経緯について前川氏は「『認証できないから申請を受理しない』という方針を一転し、受理して認証したので、前例を踏襲する役所の仕事からすると、何らか外部からの力が働いたとしか考えられない」と指摘しました。

また前川氏は、下村氏が担当者から報告を受けたものの、判断には関与していないと説明していることについて「下村大臣まで話が上がっていたのは、判断や指示を仰いだことと同義だ。『イエス』か『ノー』か、どちらか言ったはずで、結果を見れば『イエス』と言っているはずだ。下村氏の意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」と述べました。

立民 泉代表「名称変更時 下村氏のやり取り解明を」



旧統一教会の名称変更を認証した際の文化庁の文書などが、一部黒塗りで野党の議員に開示されたことについて、立憲民主党の泉代表は8月5日の記者会見で「下村元文部科学大臣もおかしいというふうに言っていて、文部科学省が改めて問われている。下村元大臣が、名称の変更時にどうやり取りしたのかも、当然解明されなければならない」と述べました。

そのうえで「自民党には旧統一教会と関係を持ってきた議員が多数おり、文化庁や文部科学省にアプローチした議員がいるのかどうか、調査すべきだ」と述べました。



旧統一教会と自民党関係?ss
旧統一教会 名称変更01
旧統一教会 名称変更02
旧統一教会 名称変更03
旧統一教会 名称変更04
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旧統一教会と自民党関係?ss
統一教会のコングロマリット

旧統一教会系列?
旧統一教会と自民党の闇?

旧統一教会関連団体 スピーチ
旧統一教会 日本の「経済部隊」
安倍政権と旧統一教会の関係


統一教会と関係??

旧統一教会と自民党 関係
国会議員106人に接点 旧統一教会、8割が自民

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X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏▼ディスコブーム編 (バブルな世代 「東京13区」=「アメリカの国」価格・価値?)

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X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏 ディスコブーム編 2022年8月30日放送分
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京都VSOP  マハラジャ伝説 MAHARAJA00

 一大ブームを巻き起こした関係者が一夜限りの同窓会を開催。今回のテーマは「ディスコブーム」。「混沌の箱」で夜な夜な熱狂した関係者たちが舞台裏を語りつくします。
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一大ブームを巻き起こしたベストセラー商品や、社会現象となったプロジェクトの関係者が一夜限りの同窓会を開催。  遡ること38年。  地下鉄が開通前の1984年、「陸の孤島」と呼ばれていた東京・麻布十番に若者が夜な夜な集う場所がありました。それが後に社会現象と呼ばれるほど人気となったディスコ「マハラジャ」。流行の最先端を行く若者が膨大なエネルギーを注ぎ込み、「ディスコブーム」が誕生しました。

その後も隆盛と衰退を繰り返しながら日本独自のディスコ文化を形成し1991年には、その象徴とも言える伝説のディスコ「ジュリアナ東京」がオープンし新たなブームを生み出しました。今回は言ってみれば「ただの夜遊び」とも言える“混沌の箱”ディスコに若者たちは何故、熱狂し冷めてしまったのか!?DJ歴42年目となるディスコの生き字引、DJ KOOさんを始め、ディスコをこよなく愛した関係者たちと当時の裏側を語り尽

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新井勝也、大田善紀

京セラ 稲盛和夫名誉会長が死去 90歳 一代で世界的な企業に(「アメーバ経営」)/ 【追悼】稲盛和夫氏 受け継ぎたいことば
稲盛和夫  先生 謙虚さ
 
稲盛和夫  先生 本



京セラ 稲盛和夫名誉会長が死去 90歳 一代で世界的な企業に




 京セラを一代で世界的な企業に成長させ、経営破綻した日本航空の会長として再建に尽力した京セラの稲盛和夫名誉会長が今月24日京都市内の自宅で老衰のため亡くなりました。90歳でした。


稲盛和夫氏は鹿児島市で生まれ、鹿児島大学工学部を卒業後、京都のがいしメーカーに就職し、1959年(昭和34年)に知人から出資を受けて、資本金300万円で京都セラミック、今の京セラを設立しました。

みずから開発した工業製品向けのファインセラミックスの技術をもとに事業を拡大し、一代で世界的な企業に成長させました。

現在の京セラは、電子部品や半導体部品などを製造し、年間1兆8000億円の売り上げがあります。

稲盛氏は、独特の経営手法として会社の組織を「アメーバ」と呼ぶ数人ずつの集団に分け、それぞれが事業の計画や目標を立てることで部門ごとの採算を高めたり、社員のやる気を引き出したりする「アメーバ経営」という手法を生み出しました。

また1984年には(昭和59年)通信の自由化の流れを受けて電電公社、今のNTTに対抗するため第二電電=DDIを設立し、2000年にKDDなどと合併して今のKDDIになりました。

さらに、2010年には(平成22年)経営破綻した日本航空の会長に当時の民主党政権から求められて就任し、赤字路線からの撤退や1万6000人に上る人員削減などに踏み切りました。

そして、社員に対して採算性の意識を徹底して持たせることで再建を実現し、破綻から2年8か月という異例の早さで東京証券取引所への株式の再上場につなげるなど、経営手腕を発揮しました。

故・松下幸之助と並び「経営の神様」と評する声も多くその人生哲学や経営哲学を学ぶための勉強会「盛和塾」は、国内だけでなくブラジルやアメリカ、中国など海外にも支部が設置されおよそ1万5000人の塾生が参加するまでになっていました。

ただ、盛和塾の活動は稲盛氏の高齢を理由に、2019年に終了していました。

稲盛氏は今月24日京都市内の自宅で老衰のため亡くなりました。

90歳でした。
稲盛氏の経営哲学とは 
稲盛氏は、少人数の集団を組織して採算の向上を図る「アメーバ経営」を提唱したことでも知られています。

「アメーバ経営」は、稲盛氏の実体験から生まれた経営管理の手法で、社内の組織をアメーバと呼ばれる数人ずつの小集団に分け独立採算で運営するものです。

それぞれの小集団で事業の計画や目標を立てることで部門ごとの採算を高めたり、活動の成果を分かりやすく示したりすることで、社員のやる気を引き出し考え方です。

また、こうした経営や組織運営を行うベースとなる考え方が稲盛氏の経験則から生まれた「フィロソフィ」と呼ばれる哲学=考え方です。

「人間として何が正しいか」を判断基準に、人として当然、持つべき根源的な倫理観や道徳観、それに社会的規範にしたがって誰に対しても恥じることのない公正明大な経営や組織運営を行っていく重要性を説いたものです。

こうした稲盛氏の経営哲学は、京セラやKDDIのほか、日本航空の経営再建にも生かされました。

さらに、稲盛氏から教えを請いたいと京都の若手経営者が立ち上げた勉強会「盛和塾」には、国内外の経営者などおよそ1万5000人が塾生として参加し、稲盛氏の経営哲学などを学びました。
KDDI 会長と社長がコメント 
稲盛氏は通信の自由化の流れを受けて電電公社、今のNTTに対抗するため1984年に第二電電=DDIを設立。

DDIは2000年にKDDなどと合併して今のKDDIが誕生しました。

稲盛氏は、2001年にKDDIの最高顧問となりました。

KDDIの田中孝司会長は「2000年の3社合併は、小異を捨て大同団結することで、かつてない歴史的な業界再編に至りました。これは稲盛和夫最高顧問の『真に国民のための通信サービスを提供しよう』という新たな大きな志が導いたものと思っています。稲盛和夫最高顧問の多大なる貢献と功績にあらためて感謝申し上げます」とコメントしています。

また、DDIの設立と同時に京セラから移った高橋誠社長は「稲盛和夫最高顧問の経営哲学がしたためられた『KDDIフィロソフィ』は現在も弊社の礎になっています。稲盛和夫最高顧問の遺志を継承する全社員が一丸となって経営理念にもうたっている『豊かなコミュニケーション社会の発展に貢献』できるよう、邁進していく所存です。ここにご逝去を悼み、謹んでご冥福をお祈りいたします」とコメントしています。
日本電産 永守重信会長「兄貴のような存在 目標失い寂しい」
日本電産の永守重信会長はNHKの電話インタビューに対し「非常にびっくりした。長いつきあいだが、稲盛さんは兄貴のような存在だった。日本電産のビルから京セラのビルが見えて負けないよう頑張ってきた。目標を失ったようで寂しいです」と話していました。

そして「まっすぐに会社のことを考えていた方で、いわば経営者のかがみのような存在だった。近くにいて教えを請うこともあったが、みずから考えるよう叱咤激励もしてもらった。京都から世界に向かって稲盛さんの教えがあったからこそという会社を作っていくことが使命だと考えている」と話していました。
日本航空 格納庫には当時のことばが
採算性への意識を徹底させながら、安全を第1に日本航空の再建に取り組んだ稲盛和夫氏の思いは今も現場に息づいています。

羽田空港にある日本航空の格納庫には、稲盛氏が会長就任のあいさつの際に社員に向けて送った「新しき計画の成就は只不屈不撓の一心にありさらばひたむきにただ想え気高く強く一筋に」という明治生まれの思想家のことばが現在も掲げられています。

当時、整備士として働いていて今は羽田空港で整備の責任者を務める川添猛さん(50)は、経営破綻による不安が大きい中、稲盛氏のことばでもう1度、会社を立て直そうという思いになったと振り返ります。

整備の現場でも、機体の汚れを拭く布1つ取っても、採算性の意識が徹底されるようになったということで、川添さんは「もちろん安全が第1ですが、その中でも、採算性の意識というのは今も現場で意識されています。稲盛氏のことばを軸に社員の一体感がより深くなったと感じますし、今も仕事に迷った時にはそのときの原点に立ち返って作業しています」と話していました。
日本航空「卓越したリーダーシップにより構造改革と意識改革」 
稲盛氏が亡くなったことについて、日本航空は「稲盛名誉顧問のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。2010年の経営破綻の際に弊社に会長としてお越しいただき、その卓越したリーダーシップによって構造改革と意識改革を進められて、再生へと導いていただきました。多大な貢献と功績に改めて感謝申し上げ、心からの哀悼の意を表します」とコメントを発表しました。
稲盛氏とゆかりのある京都では悲しむ声
稲盛氏は、平成7年に京都商工会議所の会頭に就任。

会頭の職を6年間務めるなど、京都の経済界で存在感を示してきました。

また、科学や芸術の振興のため、私財を投じる形で「稲盛財団」を設立しました。

さらに、国際的に貢献した人に対する「京都賞」も創設し、京都賞の受賞者からはノーベル賞の受賞者も多数、出ています。

このほか「京セラ」として、サッカー・Jリーグの「京都サンガ」に出資し、スポーツの振興にも努めました。

稲盛氏とゆかりのある京都市では悲しむ声が聞かれました。

京都市に住む40代の会社員の男性は「稲盛さんの経営手法はどんな会社でも通用するすばらしいものだったので、私も参考にさせてもらっていました。亡くなったのは悲しいですし、大きな損失だと思います」と話していました。

また、京都市に住む80代の女性は「京都にとって誇るべき人だったので、亡くなったと聞いて、本当に残念です」と話していました。

京都府向日市に住む20代の女性は「事業を行っているのですが稲盛さんが書かれた本を読んでたくさん勉強させてもらいました。すばらしい経営者を失ったのは残念ですが、稲盛さんが残していかれたものを参考に、私もがんばっていきたいです」と話していました。
京都府 西脇知事「人材育成し 京都の将来につなげていく」
京都府の西脇知事は30日午後、記者団の取材に応じ「経営者としてはもちろんのこと、京都の経済や科学、芸術、スポーツ、教育など幅広い分野の発展に大きく貢献され、まだまだこれからもご指導をいただきたかっただけに、残念でたまりません」と述べました。

そのうえで「稲盛さんが今まで取り組んでこられた精神や実績を後世に伝え、そして人材を育成し、京都の将来につなげていくことがわれわれの役目だと思っています。今の京都経済をめぐる状況も非常に厳しいので、稲盛さんの志を継ぎ、ご功績に応えるためにも一日も早い回復に向けて努力していきたい」と述べました。
京都市 門川市長「子どもの教育に非常に熱心だった 寂しい」 
京都市の門川市長は、教育長を務めていた時から稲盛氏と交流があり、科学や芸術に貢献した人への「京都賞」の創設や「京都市京セラ美術館」への支援など、幅広い分野で市に貢献していたとして、急な別れを惜しんでいました。

門川市長は30日夕方、記者団に対し「尊敬する稲盛さんがご逝去されたと聞いて寂しいかぎりです。子どもの教育に非常に熱心で、とくに家庭環境に恵まれていない人や障害のある人の支援に取り組んでいました。世のため、人のために尽くすことが人間として最も尊いとおっしゃっていて、1人の人間として教えていただいたことを実行していきたいです」と話していました。
京都サンガ 伊藤社長「心に穴があいたような感じ」
稲盛氏はサッカーJ1の京都サンガの熱心なサポーターとしても知られ、クラブの設立に中心的に関わったほか、クラブの名誉会長も務めていました。

稲盛氏が亡くなったことについて京都サンガの伊藤雅章社長は「サンガの礎を築いた稲盛氏が亡くなったことは心に穴があいたような感じです。クラブハウスにひとりで来たこともありました。稲盛氏は地域の人を喜ばせることがチームの発展につながるという考えをもっていたほか、結果的にうまくいかなくても挑戦することを大事にしていたので、その考え方をクラブに残していきたいです」と話していました。
出身の鹿児島市では新聞の号外も
稲盛さんは1932年、現在の鹿児島市城西で生まれました。

鹿児島市にある西田小学校を卒業し、戦時中の1945年には空襲で実家を焼失します。

その後、現在の鹿児島玉龍高校を経て1955年に鹿児島大学工学部を卒業し、1959年に京都セラミック、今の京セラを設立しました。

活動の中心を京都へ移したあとも、故郷・鹿児島との関わりを持ち続けます。

1969年には鹿児島川内工場を1972年には鹿児島国分工場を作りました。

1999年に、鹿児島大学の名誉博士になると、2004年には成績が優秀な学生を表彰する「稲盛賞」が設けられ、卒業式で賞状や薩摩切子のちょこを受賞した18人に贈りました。

また、2005年には、西田小学校の創立130周年に合わせて講演し、児童と一緒に給食も食べました。

2015年に鹿児島県の県民栄誉表彰と鹿児島市から市民栄誉賞が贈られ、2017年には鹿児島大学に銅像が建てられました。

私財をなげうって人材育成にも取り組みました。

2018年に鹿児島大学へ稲盛記念館を寄付したほか、2020年には、かごしま国際交流センター建設のため県と鹿児島市に20億円を寄付します。

常に、故郷・鹿児島に貢献するための活動を続けた稲盛さんは、2019年、87歳の時に社会の発展にこの上ない功績を残し、県民が誇りとして敬愛する人に県が贈る初の名誉県民となりました。

鹿児島市の天文館では、稲盛会長が亡くなったことを知らせる新聞の号外が配られ、買い物客が驚いた様子で受け取っていました。

70代の男性会社員は「鹿児島にとっては大きな存在で惜しい人が亡くなったと思います。やすらかにお眠りください、とだけ言いたいです」と話していました。

80代の女性は「経済面などいろいろな方面で、鹿児島の有名な立派な方だったので残念です。昔の人は辛抱強いからこれだけ成功したのだと思います」と話していました。
鹿児島県 塩田知事「雇用の創出に多大な尽力いただいた」
鹿児島県の塩田知事は、京セラの稲盛和夫名誉会長が亡くなったことを受けて県庁で取材に応じ「県内での工場立地で鹿児島県の雇用の創出に多大な尽力をいただいたほか、国際交流の発展のために多額の寄付もいただき、いろんな形で貢献いただいた。このたびの訃報は大変残念ですが、生前のご功績に敬意を表し、心からご冥福をお祈りしたい」と述べました。
鹿児島市 森 前市長「郷土愛にあふれた方」 
親交のあった鹿児島市の森博幸前市長は「まだまだ長生きされて、世界のために活躍されると思っていたので、お亡くなりになったことが信じられない。県民にとっても大きな財産を失うことになる」と述べ、突然の死を惜しんでいました。

また、市長在任時のおととし、国際交流の拠点となる「かごしま国際交流センター」が稲盛さんの寄付を受けて完成したことに触れ「稲盛さんが『県民のために役に立てることがあれば協力したい』とおっしゃったので『国際交流会館をつくりたい』と言ったら、20億円の寄付をいただいた。大学や高校にも私財をなげうってくださって、郷土愛にあふれた方でした。温かい志に感謝申し上げ、心からご冥福をお祈り申し上げたい」と話していました。
稲盛氏が好きだったことばは「敬天愛人」 
稲盛和夫氏は一代で電子部品メーカーの京セラを世界的な企業に成長させました。

その稲盛氏が好きだったということばが「敬天愛人」です。

「天を敬い、人を愛す」という意味のこのことばは、同じ鹿児島出身の西郷隆盛がよく使っていたものです。

資金も実績もない町工場でもみずからの技術と仲間を信じれば道がひらけるという稲盛氏の経験から私利私欲のためでなく、一緒に働く仲間を信じることの大切さを説いていて京セラの社是にもなっています。

稲盛氏は、2014年のNHKのインタビューで「人間として何が正しいのかを座標軸に、そこから物事をすべて経営判断することが大切だ。成功した経営者が『俺は社長だ、専務だ』と威張っているのをかいま見るが、そんなんじゃいかんと思う。上に上がれば上がるほど責任は重くなって、これでいいのだろうかと常に自戒して、努力をしていく、そんな生真面目な経営者であってほしい」とみずからの経営哲学を話していました。
勉強会「盛和塾」の塾生は
稲盛氏の経営哲学は、京都の若手経営者が立ち上げた勉強会「盛和塾」の活動によって国内外の経営者などおよそ1万5000人が塾生として学びました。

その経営哲学の根底にあるのが「フィロソフィ」と呼ばれる哲学=考え方です。

「人間として何が正しいか」「人は何のために生きるのか」という問いに向き合う考え方で、人として当然、持つべき根源的な倫理観や道徳観、それに社会的規範にしたがって誰に対しても恥じることのない公正明大な経営や組織運営を行っていく重要性を説いたものです。

その塾生の1人で、東京・中野区でスポーツ施設の設計施工や運営を手がける会社「日本体育施設」の奥裕之会長は2011年12月に「盛和塾」に入塾してから稲盛氏が出席するほぼすべての勉強会に参加していたということです。

奥会長は「体の力が抜けました。メールが届いていて亡くなられていたと。お年ですし、限りある命ですから、いつかはとは思っていましたが、もう少し頑張ってほしかった」と話していました。

そのうえで、稲盛氏を振り返り「世界中がおかしくなっていますし、市場原理主義がいきすぎている。人の幸せがなんなのか、事業をなんのためにやるのか、常に本質ということをなげかけてくださった。確かに経営は甘くないですし、塾生にも厳しいおことばをたくさんいただいたが、その裏側に大きな愛がある。私は厳しさよりもそれを感じました」と話していました。
中国でも多くのメディアが大きく伝える 
京セラの稲盛和夫名誉会長は中国でも企業経営者やビジネスマンの間で高い人気があったことから、多くの中国メディアが亡くなったことについて大きく伝えています。

稲盛氏の経営哲学などを学ぶ勉強会「盛和塾」を中国で開催する会社によりますと、勉強会は2007年から中国各地で開かれていて、日本で活動が終了した今も中国では継続され、およそ1万7000人が参加しているということです。

また、ネット通販最大手、アリババグループの創業者、ジャック・マー氏や、中国の通信機器大手、ファーウェイの創業者など、中国を代表する経営者らが稲盛氏を尊敬していたことで知られています。

中国のSNS上では、30日午後、稲盛氏の死去について伝えるニュースが一時、検索ランキングの1位になりました。

コメント欄には「偉大な経営者いい旅立ちを」といった投稿や「尊敬すべき日本人だった」などと、稲盛氏の死去を悼む声が多く寄せられていました。
立民 泉代表「私心なき政治を説かれた」
立憲民主党の泉代表は記者団に「常に、私心なく政治の運営をすることは経営と同じだとわれわれに説いていただいた。『もう一度政権交代可能な政治を』という思いを持ち続けていたと思うので、われわれも諦めず、競争や切磋琢磨(せっさたくま)のある政治環境をつくっていくため、努力したい」と述べました。
立民 安住国対委員長「二大政党制の必要性 志の体現を」
立憲民主党の安住国会対策委員長は記者団に対し「経済界の中で二大政党制の必要性を唱え、与党と分け隔てなく野党の応援もしてくれた。『権力は二大政党で緊張感を持ってやったほうがいい』という稲盛氏の志を体現すべく、頑張っていきたい」と述べました。
立民 小沢一郎氏「見識と人間力に助けられた」
民主党政権で党の幹事長などとして政権運営の中枢を担った立憲民主党の小沢一郎氏は、ツイッターにメッセージを投稿しました。

この中で、小沢氏は「稲盛氏は、早くから、日本には政権交代可能な成熟した民主主義が必要であると認識され、民主党と自由党の合併と、その後の政権交代に強力な支援をいただいた。先を見据える見識と全てを包み込む人間力にどれほど助けられてきたか、わからない」としています。

そのうえで「元気なうちに、もう一度、政権交代をして、何とか恩返しができればと思っていた。本当に残念でならず、心からご冥福をお祈り申し上げる」としています。
公明 竹内政調会長「ぬきんでた たぐいまれな経営者」
地元が京都で稲盛氏と親交があった、公明党の竹内政務調査会長は、記者団に対し「戦後日本経済の一時代を作った偉大な経済人であり、亡くなったことは非常に残念だ。利益だけを追い求めるのではなく、経済社会の在り方を説き、多くの若手経営者を育て、大きな功績がある。ぬきんでた、たぐいまれな経営者であり、心から冥福を祈りたい」と述べました。
国民 前原代表代行「日本を救っていただいた」
京都が地元の国民民主党の前原代表代行は記者団に対し、民主党政権の国土交通大臣として稲盛氏に日本航空の経営トップへの就任を要請したときのことを振り返り「この人しか日本航空を立て直す方はいないということで、お願いにあがり、三顧の礼というのはよく言ったもので、2回断られて、3回目にお引き受けをいただいた。極めて短期間でV字回復を遂げ日本を救っていただいた。やりきれるのは稲盛氏しかいなかったし、感謝してもしきれない。本当に大事な方を亡くした」と述べました。

そのうえで「『1社独占や1党独裁はだめで、競争が必要だ』と何度も話をいただいた。自民党に代わりうる強い政党をもう1回つくって政権交代を実現することを、稲盛氏に誓いたい」と述べました。


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【追悼】稲盛和夫氏 受け継ぎたいことば



「盛和塾」という名前を聞いたことはあるだろうか。京セラを一代で世界的な企業に育て上げた稲盛和夫氏に教えを請いたいと、京都の若手経営者が立ち上げた勉強会だ。設立から36年。稲盛氏が87歳と高齢になったことから、「盛和塾」はことしで解散することが決まっている。稲盛氏は塾生たちにどんなメッセージを残し、塾生は何を思うのか。7月、横浜で開かれた最後の世界大会に足を運んだ。(経済部記者 茂木里美)

※この記事は、2019年7月24日にビジネス特集で公開した内容です。年齢や肩書は当時のまま掲載しています。

世界的な経営塾
盛和塾は、1983年、稲盛氏から人生哲学や経営哲学を学びたいと、京都の若手経営者が立ち上げた自主勉強会「盛友塾」が発端だ。その後、1989年に名前を「盛和塾」に変え、今に至るまで活動を続けてきた。

京都から始まった勉強会は、今や塾生が1万4000人を超えるまでになっている。その半数超にあたる7600人は、中国やアメリカなど、海外の経営者だ。

塾生は敬愛の念を込めて、稲盛氏を”塾長”と呼ぶ。
稲盛氏とフィロソフィ 稲盛氏とフィロソフィ
稲盛和夫氏
1959年に京都セラミック(今の京セラ)を設立した稲盛和夫氏(87)。

一代で売り上げ1兆円を超える企業に育て上げたほか、第二電電(今のKDDI)の創業や、経営破綻した日本航空の立て直しを担ったことでも知られる。故・松下幸之助と並び、「経営の神様」と評する声も多い。

松下幸之助氏
稲盛氏の何が国内外から経営者をひきつけるのか。それは、経営思想の根底にある「哲学=考え方」だ。

「フィロソフィ」と呼ばれ、盛和塾の塾生に広く浸透し、経営の道しるべとなっている。

「人として何が正しいのか」「人は何のために生きるのか」という問いに向き合う考え方で、著書にも「大きな志を持つこと」「常に前向きであること」「誠実であること」「挫折にへこたれないこと」といったことばが並ぶ。

具体的な経営手法とはイメージが異なるかもしれない。しかし、稲盛氏は、経営をするうえで、「人として正しいこと」を考え、行うことが最も重要だと説い続けてきたのだ。
最後の世界大会
2018年12月、盛和塾の活動がことしいっぱいで終了すると公表された。稲盛氏の高齢が理由だ。

もともと稲盛氏は、盛和塾は一代で終わりにしたいと公言していた。年に1度、国内外から塾生が集う「世界大会」も、ことしが最後の開催となった。
最後の世界大会
7月17日と18日に横浜で開かれた大会には、4800人が集まった。塾生からは、“稲盛塾長”への感謝のことばが相次いだ。

熊本県で飲食チェーンを経営する桑原俊孝さん。経営に悩んでいた時に稲盛氏の著書に出会い、衝撃を受けたという。

桑原俊孝さん
2004年に入塾して以降、稲盛フィロソフィをもとに「正直な経営」を判断の軸にする自分なりの経営理念を立てたところ、利益率が1桁から2桁に。

3年前の熊本地震では、店舗が大きな被害を受け、休業を余儀なくされたが、盛和塾で学んだ「どんな苦難でも前向きに生きる」という教えのもと再建を志すことができたと話す。
桑原さん
「盛和塾の活動が終わったあとも、塾長の教えを社員と共に学び続け、会社再建を進めていく」
そう誓い、あいさつを締めくくった。

愛知県でスーパーマーケットを経営する牛田彰さんは、稲盛氏から激怒された思い出を紹介した。

牛田彰さん
それは、自社株の移転にあたって有利な税制について相談しようと稲盛氏に手紙を送ったところ、「私欲に根ざすことについてはコメントしません。もっと会社の継続性と社会的意義、従業員のことを考えなければならない」と書かれた返事が来て、その手紙を読んだときに稲妻に打たれような稲盛氏の怒りを感じたという。

それから、私欲に走っていた自分の考えを恥じ、今も何か重要な決断をしなければならないときは、机の奥に閉まってあるこの手紙を見て、正しい判断ができるようにしているという。

牛田さんは、最後「塾長、本当にありがとうございました」と涙をこらえながら感謝の気持ちを伝えていた。
稲盛塾長、最後に伝えたいこと
そして、大会の最後には稲盛氏から塾生へのメッセージが伝えられた。

会場に姿を見せることはなかったが、その趣旨は、これまでと変わりない芯が通ったものだった。
稲盛塾長、最後に伝えたいこと
稲盛氏からのメッセージ
「フィロソフィを説く私のベースにあったのは、何よりもみんなに幸せになってほしいという純粋な思いでした。『こういう考え方で生きていけば、充実した幸せな人生を送ることができるはずだ』と強く思っていたからこそ、多くの人々にそのことを知らせたかった。『従業員に素晴らしい人生を送ってほしい』という強い思い、限りない愛がすべての根底になければなりません。経営者本人が常に自らに厳しく規範を課し、人格を高めようとし続ける姿を示すならば、それを見た従業員もおのずからフィロソフィの実践に努めようとするはずです。従業員のために社長が誰よりも苦労している姿ほど、共感を得るものはありません。ですから、会社のなかで経営トップがいちばん苦労しなければなりません。そうすれば、従業員は必ずついてきてくれるものです」
そして、最後は、感謝のことばで結んだ。

稲盛氏からのメッセージ
「盛和塾はことし12月をもって幕を閉じることになります。しかし、これからもフィロソフィを学び続けると同時に、そのフィロソフィを従業員と共有し、会社を健全な発展に導くことを通じて、ひとりでも多くの人を幸せにしていくという皆さんの経営者の使命に変わりはありません。盛和塾のおかげて、私は直接お目にかかれない塾生の皆さんの企業に勤めている従業員とその家族も含めて、間接的に人々を幸せにするお手伝いができたのではないかと思います。つまり、そのような大いなる利他行に努める機会を皆さんが私に与えてくれたと思うのです。盛和塾が終わろうと、私の心のなかにソウルメイトである皆さん塾生は生き続けます。同じように、皆さんの今後の経営に、私のフィロソフィが生き続けることを願います」
盛和塾は、あと半年足らずでその活動を終える。しかし、塾長が最後に残したことばのとおり、塾生たちからは、稲盛哲学を若い世代に継承し続けていくという強い意志が聞かれた。

デジタル技術がここまで進展した今、人としてのありようを根本から問いかける哲学は、古くさく聞こえる人もいるかもしれない。

しかし、確実に根づいていくであろう稲盛哲学を、いつ、どこで、誰に見いだせるか。

経済記者の1人としてこれからの日本経済を見ていくうえで、そんな出会いを楽しみにしたい。




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【稲盛和夫氏の消えぬ情熱】やり切ったと思ったことは『一度もありません』京セラ創業~KDDI母体の第二電電設立~JAL再建


訃報です。「京セラ」の創業者・名誉会長で、日本航空の経営再建にも多大な貢献を果たした稲盛和夫さんが、8月24日に老衰のため亡くなりました。90歳でした。戦後日本を代表する経営者がこの世を去りました。



 【稲盛和夫さん 2016年12月31日放送『ザ・リーダー』より】


 (Qもうやることはやり切ったと思われた時はないのですか?)
 「ありません」
 (Q一度もですか?)
 「一度もありません」

 温厚そうな雰囲気の奥で齢80を超えても情熱の炎が消えることはありませんでした。稲盛和夫さんは1932年に鹿児島県に生まれます。1959年、27歳の時に「京都セラミック」、現在の京セラを創業。アメリカのIBMから大量受注を獲得したことなどをきっかけに経営を軌道に乗せ、京セラを巨大メーカーへと成長させました。

 (稲盛和夫さん)
 「なるべく利己的な思いというものを横に置いて、利他的な、みんなを幸せにという美しい心というものが、常に思いの中に出てくるようにしていかなければいけない。そうすれば自分の運命も好転していきますし、同時に自分の境遇も良くなっていくし」



 “会社経営はすべての社員が関わるものだ”という考えを貫いた稲盛さん。独立採算で運営する小さな集団を作り、その集合体として会社を経営していく『アメーバ経営』という手法は経済界に大きな影響を与えました。


KDDI母体「第二電電」設立やJAL再建も

 活躍の場は京セラの枠を超えます。1984年、通信事業が自由化されたのを機に、現在のKDDIの母体となった「第二電電」を設立。NTTの独占構造に穴を開けていきました。



 2010年には周囲の反対を押しきり、経営破綻でどん底にあった日本航空の会長に78歳で就任。足しげく現場に通い、ぬるま湯に浸かっていたJALの幹部を叱り飛ばした稲盛さん。一度は翼が折れたJALをわずか3年で再上場させ、不死鳥のごとく蘇らせました。

 (稲盛和夫さん)


 「意気消沈したJALの社員の人たちを勇気づけてあげたいと」

 また1985年には、私財を投じて財団をつくり、科学技術や思想芸術の発展に貢献した人に贈る「京都賞」を創設。ノーベル賞への登竜門として世界的な注目を集める賞になりました。



 さらに稲盛さんの経営哲学や経営手法は遠く海を越えます。

 (稲盛和夫さん 2016年 中国・瀋陽にて)
 「日ごろからコストダウンに努めていますから、往々にしてもう無理だ、これ以上コストを下げることはできるはずがない、と考えがちであります。そうではありません。もうダメだと思ったところが始まりと考え、乾いたタオルをさらに絞るように、徹底的に原価低減に努めていくことが必要であります」

 国内・海外で大勢の人々に多大な影響を与えた稲盛さん。今年8月24日に京都市内の自宅で老衰のため亡くなったということです。90歳でした。通夜および葬儀は近親者を中心にすでに執り行われたということで、後日、お別れの会が開かれる予定です。




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オミクロン株対応ワクチン「感染の抑え込み期待できる」専門家/  オミクロン株“重症化しにくい”のに死者増加 身動き取れず…増える衰弱死
オミクロン株ワクチン 2価ワクチン
オミクロン株の対応ワクチン?

オミクロン株対応ワクチン「感染の抑え込み期待できる」専門家

オミクロン株ワクチン00


 新型コロナウイルスのオミクロン株に対応したワクチンの接種を9月中に始める方向で政府が調整を進めていることについて、ワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授は「今は感染者数が減らず、死亡者数が増えている。オミクロン株対応のワクチンなので、重症化予防と同時に、感染を抑え込み、緩やかであっても感染者数が減少傾向を示す期待ができると思う」と述べました。

今回のワクチンは今広がっているオミクロン株の「BA.5」ではなく、ことし初め以降広がった「BA.1」を元につくられています。

ファイザーによりますと、これまでの臨床試験ではオミクロン株対応のワクチンを4回目の接種として使った場合、「BA.1」に対し、ウイルスの働きを抑える中和抗体の値が、従来型のワクチンを使った場合の1.56倍になり、「BA.5」に対しては「BA.1」には劣るものの中和抗体の値は上昇したとしています。

中山特任教授は「今後の変異ウイルスの流行状況にもよるが、重症化を抑えることができ、感染予防効果はある程度限定的だが接種から1か月から2か月は認められると考えられる。また、副反応の頻度は今までのワクチンの2回目、3回目の接種のときに出る頻度と同じ程度と考えられる。対応が遅れればそれだけ感染者数が増えるので、なるべく早くオミクロン株対応のワクチンを導入する必要がある」と話しています。

いつ、どのワクチンを接種するかについては「オミクロン株対応のワクチンを多くの人が受けられる環境が整うまでには時間がかかるかもしれない。今できることで最善を尽くすという意味で、現行のワクチンで3回目、4回目の接種を受けることが現実的だ」と話しています。

5~11歳 3回目接種ワクチン承認「子どもも追加接種を」
5~11歳 3回目接種ワクチン承認

 
5歳から11歳までの子どもを対象にした3回目接種の新型コロナワクチンが承認されたことについて、小児科の医師でワクチンに詳しい北里大学の中山哲夫特任教授は「ワクチンの免疫は1回、2回の接種で確実にできるものではなく、日本脳炎やB型肝炎などのワクチンも2回より多く接種している。子どもたちも新型コロナのワクチンを2回接種すると、基礎的な免疫ができるが、それを強く記憶として残すためには3回目の接種が必要になる」と話しています。

さらに、中山特任教授は「新型コロナウイルスの感染拡大の前から、子どもたちが健全な学校生活を送ることができていたのは、いろいろなワクチンを接種して病気から守られてきたからだ。新型コロナのワクチンのことも同じように考えてほしいと思っていて、追加のワクチンは接種するべきだろうと思う」と話しています。
アストラゼネカ エバシェルド?

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国内初の“コロナ予防薬”アストラ製「エバシェルド」ワクチン不可の人も対象
00 治療薬 新治療薬は?
00 治療薬効果は?
01 エバシェルド(アストロゼネカ)
02 エバシェルド(アストロゼネカ)
03 エバシェルド(アストロゼネカ)
04 エバシェルド(アストロゼネカ)
05 エバシェルド(アストロゼネカ)
06 エバシェルド(アストロゼネカ)
07 エバシェルド(アストロゼネカ)


 31日、厚生労働省が国内初の新型コロナの予防薬として、アストラゼネカ社の「エバシェルド」を特例承認しました。
新型コロナウイルスの「治療」だけではなく、「予防」にも効果が期待される「エバシェルド」。2年半にも及ぶコロナとの戦いを大きく変えるものになりうるのでしょうか?
専門家と、その可能性を探ります。

国内初の“予防薬” に新たな期待 これまでの治療薬との違いは


厚労省が特例承認した、新型コロナ治療薬「エバシェルド」(アストラゼネカ社)。2種類の抗体薬を筋肉に注射する治療薬です。
その効果はこれまでの治療薬とは大きく異なり、「重症化を防ぐ」という治療の効果に加えて、「発症の予防」の効果も期待できるといわれており、国内初の新型コロナ「予防薬」になります。
すでに承認済みの新型コロナ治療薬と比較した際、リスクの減少率はどの程度異なるものなのでしょうか?

まずは、飲み薬の「モルヌピラビル」は、入院・死亡リスクが30~50%減少することが確認されています。
一方、点滴などの投与となる「ソトロビマブ」は、入院・死亡リスクが79~85%減少。
今回の「エバシェルド」は、重症化・死亡リスクと条件は異なるものの、50.5%の減少が確認されています。
重症化予防、発症予防の2つの効果は、どのような方にとって役に立つのか。感染制御学に詳しい、東邦大学の小林寅喆教授はこう話します。
東邦大学・小林寅喆 教授:
重症化予防というのは、すでに感染した患者さんの重症化を予防する、従来の薬剤と同じような効果。そして今回の感染予防、「予防薬」としての効果から考えますと、今までワクチンを打っても抗体がなかなかできなかった人、もしくはワクチンが打てない人、そういう人たちが、感染のリスクに置かれた状況の中で、感染の予防効果が維持できる。
ですから、ワクチンを打てない、だけどもこんなに感染が流行しているという中で、実際にこの「予防薬」で予防することができるようになったと
今まで、重症化リスクがあるにもかかわらず、ワクチン接種を行うことができなかった人たちを救えるのではないかといいます。
「エバシェルド」の効果とは?
「エバシェルド」の効果はどれほどのものなのか。

治療の効果:発症7日以内の投与により、重症化・死亡リスクが50.5%減少
予防の効果:感染前に投与することにより、発症リスクが76.7%減少
いずれの効果も、6カ月間持続されるということです。

猛威を振るうオミクロン株への効果について、BA.2系統への有効性は「維持」されることが確認されています。
一方で、BA.4、BA.5系統への有効性は、減少したり弱まったりする恐れがあることから、他の治療薬が使用できない場合に投与を検討していくということです。
「エバシェルド」と「ワクチン」の違いは?

これまでの「ワクチン」との違いは、どういったところなのか。
従来のワクチンは、“抗原”を注射で投与し、体内で抗体を作るというものでした。抗体ができるまでに、1~2週間の期間が必要です。
しかし、エバシェルドは“抗体”そのものを体内に投与するため、直接抗体が作用するのです。
「エバシェルド」の今後 接種の対象者は?

今後に期待がかかる「エバシェルド」。
現在接種の対象は、12歳以上の「体質によってワクチン接種を受けられない人」「持病などで免疫機能が落ち、ワクチン接種を受けても十分免疫が得られない人」としています。
東邦大学・小林寅喆 教授:
ワクチンを打てない人や、ワクチンを打っても効果が得られない人が対象になっていますので、そういう方たちにとっては、今まで感染リスクに対する手立てがなかったわけです。
この予防薬を投与することで、感染・発症のリスクも抑えられるということで、非常に画期的な予防薬と考えてよろしいかと思います
Q.今後、ワクチンの投与から、この予防薬を投与という形に変わっていくのでしょうか?
東邦大学・小林寅喆 教授:
いえ、これはあくまでも「治療薬」で、ワクチンは「ワクチン」という枠組みですので、ほとんどの方はワクチンで予防していく。そこからこぼれた方たちが、このような予防薬を投与して、防いでいけるようになってくると
Q.副作用はあるのでしょうか?
今のところ通常の薬剤に比べても、例えば「過敏症」が1%未満とか、そのくらいの数ですんでいますので。そういう意味では“今のところは”、それほど副作用が出ている、ということは、起こっていないと考えていいと思います

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オミクロン株“重症化しにくい”のに死者増加 身動き取れず…増える衰弱死

30日の新型コロナウイルスに感染した人、午後6時30分現在で14万7282人です。亡くなった人は311人です。重症化しにくいとされるオミクロン株に感染し、「軽症」にもかかわらず命を落としてしまう現実があります。今、医療の現場で何が起きているのでしょうか。

 第7波の出口に向かっているのでしょうか。

 東京では30日、新たに1万4219人の感染が確認されました。先週に比べ、およそ7500人減っています。前の週の同じ曜日を下回るのはこれで9日連続です。

 その一方で収まる気配がないのは死者の数です。

 コロナによって亡くなった人、先週の火曜日が343人と過去最多を更新しました。これまでの1カ月間は死者数が合わせて6600人を超えています。

 ここで一つ疑問が生まれます。

 重症化しにくいとされてきたオミクロン株。実際、デルタ株が主流だった去年夏の第5波と比べるとオミクロン株に置き換わった第6波、第7波は全国の重症者数が統計上減少しています。

 ところが、死者数は増えているのです。

 第7波による死者のおよそ95%が60代以上だといいますが…。

 現場で何が起きているのでしょうか。

 コロナ患者の治療にあたる埼玉医科大学総合医療センター。岡教授に聞きました。

 埼玉医科大学総合医療センター・岡秀昭教授:「現場ではたくさんの亡くなりそうな人を診ているところが(分類上)『軽症』なんですよ」

 岡教授が実態に即していないと指摘するのは、重症の定義です。

 厚生労働省が作成した「診療の手引き」を見ていきますと、重症の定義はICU(集中治療室)に入室、もしくは人工呼吸器が必要と書かれていて、肺炎など呼吸器に症状があることが一つの大きなポイントとなっています。

 埼玉医科大学総合医療センター・岡秀昭教授:「昔はとにかく肺炎を起こして呼吸が悪くなるというワンパターン。今の重症度判断というのは従来のコロナウイルスの基準によって定義。“肺炎がない”“呼吸が悪くない”ことで軽症になってしまう」

 岡教授の病院には29日時点で19人の入院患者がいるといいますが、そのうち重症の定義にあてはまるのは1人だけ。

 しかし、実態は…。

 埼玉医科大学総合医療センター・岡秀昭教授:「(19人中)17人は自分で歩くことができない、自分で排泄(はいせつ)できない、食事取れない、水分も取れない、そういった高齢者が病床を埋めている。身動きがとれない人が皆さんの感覚で軽症と思いますか?そういった人が軽症と分類されていて場合によっては亡くなってしまう」

 神奈川県がオミクロン株の流行を受けて行った調査でもコロナによる死者は重症より中等症患者の方が多いとの結果が出ています。

 軽症や中等症と診断されながら衰弱死という形で命を落とす、こうしたケースが減らなければ現場はどうなるのでしょうか。

 埼玉医科大学総合医療センター・岡秀昭教授:「今、重症者は増えていない、だから医療現場は大丈夫と判断されたら、我々が見ている世界とはかなり温度差が出てしまうのでそれは困る。重症度の分類は本来、死亡を予測するもの。困るのは私たちだけでなく亡くなってしまう患者さん。呼吸が悪いか悪くないかという基準だけでなく『年齢』『腎機能』『意識』が悪くないか他のサインを組み入れて、重症度を死亡率を予測できるものに置き換えて判断していく必要がある」

 厚労省の専門家会議は重症の定義について今後、議論していきたいとしています。

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