大阪偕星初キップ!山本監督(岡山出身)、就任当初は「スクールウォーズ」/岡山
高校野球 100年

第97回全国高校野球選手権大会大阪大会決勝(31日、大阪偕星学園4-3大体大浪商、舞洲)初の甲子園出場を決めた大阪偕星学園。その快挙は、決して優等生とはいえないヤンチャな生徒たちとともに汗を流した山本●(=析の下に日)(せき)監督(47)の存在なしには語れない。就任当初は「スクールウォーズの世界だった」という野球部を、激戦区の大阪を勝ち抜くまでに成長させた手腕と人となりに迫る。

 選手と一緒になって「ヨッシャー!!」と叫んでいた。府大会8強どまりだった野球部を4年で大阪の頂点に導いた山本監督は、からだ全体で喜びを表現した。

 「いろんな思いが…。苦労して、苦労して…。感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました」

 就任当初は「想像を絶する状態。スクールウォーズの世界だった」という。練習はさぼる。中学時代の写真を見たら頭は金髪…。遠征時にパーキングエリアで休憩すると、トイレにまで監視についていかなければならなかった。そのため、バスをどこにも止めず一気に移動する“弾丸遠征”が野球部の「ルール」になったほどだ。

 強豪校から誘われなかった選手を集め、基本の練習を繰り返した。「練習時間は大阪で一番」と豪語する通り、深夜1時になることも珍しくなかった。「お前たちはどこからも声がかからなかった選手だ。それでも、同じ高校生なんだから努力すれば必ず甲子園にいける」と訴え続けた。

 一方で、大敗しても、強豪校との練習試合を重ねた。猛練習と実戦で少しずつ試合内容が改善されていき、選手も自信をつけていった。就任したばかりの頃に大阪桐蔭と試合を組み、藤浪(阪神)に1安打に抑えられて0-8で敗れたのも今ではいい思い出だ。

 現在も寮で選手と寝食をともにする。ときには自ら空揚げやカレーをふるまってきた。寮の規則を破った選手には自身の7畳の部屋でともに寝ることを義務づける。多い時は5人で雑魚寝することにもなったが、「お前らも嫌やろうけど俺も嫌や。規則は守れよ」と語りかけてきた。

 高校野球のコーチや監督だけでなく、社会人や韓国プロ野球でもプレーした。東南アジアでバックパッカーをし、米国に留学、豪州で働いたこともあったが、常に心にあったのは「子どもたちを指導したい」という思いだった。

 「みんなが根本的には素直でいい子。自分の子どもだと思って接していたら、反発したりしない」。父親のように接しながらの猛練習で初めて大阪を制した。「きっちりとした野球をしたい。一戦必勝です」。次は甲子園で、「偕星」の名を全国にとどろかせる。

スクールウォーズ

 1984年10月から85年4月までMBS系で放送されたテレビドラマ。タイトルは「スクール☆ウォーズ-泣き虫先生の7年戦争-」。京都・伏見工高ラグビー部山口良治監督をモデルとし、高校ラグビー界で無名の弱小チームが、わずか数年で全国優勝を果たすまでの軌跡を描いた物語。主人公の滝沢賢治を山下真司が演じ、多くの反響を呼んだ。

山本 ●(=析の下に日)(やまもと・せき)

 1968(昭和43)年2月7日生まれ、47歳。岡山県津山市出身。津山商から大阪学院大に進み、卒業後、90年から尽誠学園(香川)でコーチを務め、94年から社会人野球の阿部企業(兵庫)、95年から韓国プロ野球の太平洋(現現代)でプレーした。米国留学や豪州での勤務を経て、97年から多摩大聖ヶ丘(東京)でコーチ、2002年に倉敷(岡山)の監督に就任。2011年から大阪偕星学園(当時は此花学院)の監督。趣味はランニングと筋トレ。英語教諭。1メートル80、108キロ。妻と1男1女。