岡山空襲71年 平和へ決意新た  追悼式に1600人(1945年6月29日)


岡山市街地の6割以上を焼き、多くの犠牲者を出した岡山空襲から71年の29日、同市戦没者追悼式が市民会館(同市北区丸の内)で営まれた。遺族や小中学生ら約1600人が慰霊。記憶を受け継ぎ、戦争の惨禍を繰り返さないよう平和を守る決意を新たにした。 大森雅夫市長や遺族代表らが、氏名の判明している空襲犠牲者1453人の戦災死者名簿を祭壇に奉納。全員で黙とうし、太平洋戦争など戦地で亡くなった1万198人とともに弔った。大森市長は「流れゆく年月の中にあっても、痛ましい記憶を風化させず、一人一人が平和を希求する強い意志を持ち、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代へと継承していかなければならない」と式辞を述べた。 追悼の言葉では、空襲で父を亡くした市戦災遺族会の片山祐介副会長(77)が「早くも戦後71年を迎えた。罪もない多くの人が苦しい思いで旅立った空襲。再び悲しみを招いてはならない」と訴えた。児童生徒を代表して市立岡北中3年の山本真菜さん(14)が「戦争について学び続け、平和を全力で守り抜くことを使命として歩み続けたい」と誓った。 続いて参列者が次々と献花。児童生徒5人が平和都市宣言(1985年)を朗読した。 岡山空襲は45年6月29日未明、米軍機B29138機が約1時間半にわたって焼夷(しょうい)弾約900トンを投下。岡山市史は死者を1737人と記録するが、2千人を超えるとの研究者の指摘もある。

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岡山空襲71年 追悼式に1600人

 1945年6月29日の岡山空襲から71年を迎えた29日、犠牲者の追悼式が岡山市北区の市民会館で営まれた。遺族ら約1600人は冥福を祈るとともに、平和への思いを新たにした。

 市は、市街地の6割以上が焼失、1700人以上の命が奪われたとし、この日を「平和の日」と定め、90年から式を営んでいる。犠牲者の名簿を奉納した大森雅夫市長が「戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代へと語り継ぎ、平和で安全・安心に暮らせる岡山の発展に取り組んでいく」と誓い、参列者は献花台に花を手向け、静かに手を合わせた。

 その後、小中学生5人が「核兵器が完全に廃絶されることを願い、平和で幸せな岡山市を築くため、不断の努力を続けることを誓う」とする「平和都市宣言」を読み上げた。

 父親がフィリピンに出征中に戦死したという同市中区江崎、主婦堀家正子さん(71)は「二度と戦争をしてはいけないと、改めて強く感じた。平和を維持していくことの大切さを若い世代に伝えていきたい」と話した。


 ◇資料センター来年閉鎖 日笠さん「生きている限り調べたい」

 11歳の時に体験した岡山空襲の研究を続けてきた「岡山空襲資料センター」(岡山市中区御成町)の日笠俊男代表(82)は29日、自宅で71年の節目を迎えた。自身も高齢になり、今年初め、自宅に設けた同センターを来年6月28日で閉館することを明かした。

 空襲では、焼夷しょうい弾が自宅を直撃した。「なぜこんなことが起きるのか」。その思いから、中学教員を退職後、本格的に1次資料の収集や研究に取り組み、空襲から55年の2000年6月29日にセンターを開設した。

 空襲の全体像を知るため、資料によって異なる空襲の時刻や敵機の数、警報発令の遅れなどを、体験者の証言や米軍の文書などを照合しながら検証。「歴史の真実こそが平和への力になる」と信じて史実に迫る努力を続け、研究の成果は十数冊の本にまとめた。

 資料は書斎や倉庫で管理するも、個人で所有するのは限界に達した。終戦直後に米国が作成した報告書の複写などは、県立記録資料館(同市北区)に寄贈したが、自治体が専門の資料館を開設し、保管・研究してくれることを望んでいる。

 閉館までの発行を目指す新著には、米軍の機雷作戦や、鉄筋コンクリート建造物の被災状況、空襲当日の炊き出しなどを盛り込むつもりだ。日笠さんは「生きている限り、調べたい。若い人たちにも歴史を学び、なぜ戦争が起きたのかを考えてほしい」と話す。

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参考

イオンモール 岡山 周辺 不戦の誓い新たに 岡山空襲71年(1945年6月29日)

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