大山康晴名人手書きの棋譜ノート  今も歴代1位。 岡山 倉敷市名誉市民 / 藤井四段快進撃

大山康晴名人手書きの棋譜ノート  今も歴代1位。岡山 倉敷市名誉市民


将棋の大山康晴15世名人(1923〜92年)が自戦の棋譜を手書きしたノート26冊が、遺族から故郷の倉敷市大山記念館(同市中央)に寄贈された。プロになる直前の16歳から亡くなるまでの主立った棋譜が残されているとみられ、対局後の感想なども綴られている。日本将棋連盟(東京)にも53年以前の棋譜は残っておらず、「当時の戦いぶりとともに、大山名人の将棋観や人柄も伝える貴重な資料」(同連盟)という。 大山名人と付き合いの深かった北村実大山名人記念館館長(83)が今年初め、東京都に住む大山名人の遺族に依頼されて遺品整理を手伝った際、寄贈を受けた。 最も古いノートは表紙に「棋道」と書かれ、木見金治郎門下で奨励会に在籍した二段から、四段に昇格し棋士として第一歩を踏み出すまでの棋譜が記されている。1ページ目は兄弟子で、数々の名勝負を繰り広げた升田幸三・六段(当時)との一門会での一戦。駒落ちのハンディもあり大山が勝利したものの「升田さんは…あっぱく力が有る」などの感想を残す。 52年に木村義雄名人に挑み、4勝1敗で初の名人位を獲得した際の棋譜も確認できる。棋譜の後ろには、「最後に至り緩手連続して敗れたことはあほーらしいやう」と人間的な一面が垣間見えたり、「急戦はそん(損)、持久戦えらべ」などと自らを戒めたりする言葉も。整った字で書かれ、若い頃からきちょうめんだった大山名人の性格を映し出すようだ。 ノートの全容は分析中だが、特に珍しい初期の9冊を同館で展示中。北村館長は「貴重な遺品を散逸させたくないとの遺族の思いで寄贈いただいた。整理、研究して展示や公開など活用方法を考えたい」と話している。 


◆ おおやま・やすはる 1940年に棋士となり、52年に初の名人位を獲得。63年に棋界初の5冠、77年には1000勝達成などの記録を残し、76〜89年、日本将棋連盟会長を務めた。通算1433勝、タイトル戦連続登場50期などは今も歴代1位。倉敷市名誉市民。

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中学生プロ棋士 藤井四段が19連勝

(幼少期の藤井君が、高い興味を持ったのが、親が買い与えてみた「キュボロ」という、積み木を組み立てビー玉を転がして遊ぶ立体パズル。これに熱中し、飽きずに1日中遊んでいた。)

史上最年少で将棋のプロ棋士となり、デビューからの公式戦の連勝記録を更新している愛知県の中学3年生、藤井聡太四段が25日の対局に勝って連勝記録を19に伸ばすとともに、竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントへの進出を決めました。
将棋の藤井聡太四段は、去年10月に史上最年少の14歳2か月でプロ棋士となり、デビュー戦で現役最年長の加藤一二三九段を破って以降、公式戦では一度も負けることなく勝ち続け、先月4日にはデビュー戦から11連勝の新記録を達成しました。

その後、さらに7勝を挙げた藤井四段は、25日に東京の将棋会館で行われた竜王戦の予選で、近藤誠也五段と対局しました。
対局は、藤井四段が自在に駒を進めて終始攻め続ける展開となり、午後7時37分に102手までで近藤五段が投了し、藤井四段はデビュー戦から続く連勝記録を19に伸ばしました。

日本将棋連盟によりますと、デビュー戦からに限らないこれまでの連勝記録の最高は、神谷広志八段が30年前の昭和62年に成し遂げた28連勝で、19連勝は歴代単独7位の記録となります。

また、藤井四段は25日に勝ったことで、11人が参加して竜王戦の挑戦者を決める決勝トーナメントへの進出を決めました。

対局のあと藤井四段は「決勝トーナメントに進めることはとてもうれしいです。タイトル挑戦はもちろん大きな目標ではありますが、強い先生ばかりなので、まずは一局一局やっていきたいです」と話していました。

藤井四段の次の公式戦は来月2日に予定されていて、この対局に勝てば連勝記録を20に伸ばします。
意外な攻めが強さの特徴
藤井聡太四段の強さの特徴について、非公式戦で対局して敗れた経験のある中村太地六段は「対局の状況を正確に見極めながら指し手を変える柔軟さがうかがえる」と指摘しています。

中村六段は藤井四段について、「棋士は普通、長所があれば短所もあるという人が多いですが、藤井四段には今のところ、目立った短所が見当たりません。一局指すたびに成長が感じられ、どんどん進化していて、末恐ろしい棋士だと思っています」と話しました。

そのうえで、これまでの対局の中で藤井四段の強さの特徴が現れている手として、ことし3月の新人王戦で見せた「意外な攻めの一手」を挙げています。
終盤の118手目に藤井四段が選んだのは、攻撃の要として重要な自分の「角」を、相手の「香車」に簡単に取られてしまう場所に置いた手で、一見すると非常に損な選択でした。
しかし中村六段によりますと、この手には、相手の香車を前に動かすことで、その背後に持ち駒の「桂馬」を打ち込む狙いがあり、それによって相手の「王将」を一気に追い詰めることができるということです。
実際には相手は角を取りませんでしたが、藤井四段はこのあと優勢に対局を進めたということで、中村六段は「何年も経験を積んだ棋士なら逆に排除してしまうような手ですが、藤井四段は、先入観のない真っさらな澄んだ目で局面を捉えることができている。このような手が指せるというのは、まさに天才少年なのかなと思います」と話しています。

また、藤井四段の強さの特徴としては、このほか、相手の攻めの狙いを封じ込める守りの的確さや、持ち時間が少ない中でも盤面全体を捉えることのできる視野の広さなどが挙げられるということです。

中村六段は、「対局の状況を正確に見極めながら、カメレオンのように指し手を変える柔軟さがうかがえます。歴史上の偉大な棋士のいいところを勉強して、吸収しているのだと思います」と指摘しています。


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藤井四段快進撃 人間の可能性を見たい


十四歳の快進撃が続く。将棋の藤井聡太四段がデビュー後の公式戦連勝記録を十九に伸ばし、竜王戦の決勝トーナメント進出を決めた。人工知能(AI)に翻弄(ほんろう)されてきた将棋界に新風が吹く。

 中学二年だった昨年十月、史上最年少でプロ棋士となった藤井四段の勢いが目覚ましい。

 やはり中学時代にプロ入りし、現在、棋界の頂点に君臨する羽生善治三冠、渡辺明竜王でも、デビュー後の連勝はともに六で止まった。これまでの記録だった松本佳介六段、近藤正和六段の十連勝も軽々と突破した。注目と期待が大きくなるのも当然だろう。

 名古屋大教育学部付属中に在学中の藤井四段は、愛知県瀬戸市で生まれ育った。小学四年で名古屋市の杉本昌隆七段に入門。東海地方の将棋界に大きな足跡を残した板谷四郎九段、進九段の親子(ともに故人)の直系の弟子ということになる。

 進撃続く藤井将棋の特徴は、手厚く指し、安定感のある終盤力にあるといわれるが、師匠の杉本七段は『中日スポーツ』紙に寄せたコラムで「いい意味で荒々しく、野球に例えれば、本来は一六〇キロ超えをビシビシ投げ込む超剛速球投手」と指摘している。これからどんな棋譜が生まれるのか。

 天才ひしめく将棋界で近年、旋風を巻き起こしてきたのは、皮肉なことに日進月歩のAIだった。今年はついに、タイトル保持者の佐藤天彦名人まで二番勝負の第二期電王戦ではコンピューターソフトに連敗を喫した。

 第三者委員会の調査で疑いは晴れたが、日本将棋連盟を揺るがす騒動となったソフト不正使用疑惑も、その背景にあるのは、底知れぬAIの実力向上であろう。

 第一人者の羽生三冠は、本紙のインタビューで「人間が将棋を指す意味は何なのかということを、棋士は今、問われている」と述べた。そこまでAIに攻め込まれている、ということである。

 一方、棋譜のデータベース化やネット対局など、将棋を勉強する環境も劇的に向上。「高速道路論」といわれるほど、強くなるための道が整備されてきた。

 将棋界や囲碁界は、人間とAIがぶつかりあう最前線であり、将来、人間社会で想定される事態を先取りしていると見ることもできる。AIと一線を画す人間の力とは何か。“高速道路世代”の藤井四段らが棋界に新風を吹き込み、AI時代の人間の可能性を示してくれることを期待しよう。


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14才プロ棋士・藤井聡太4段に見る「天才を育てる伝え方」

5月4日、大阪市で行われた将棋新人王戦3回戦で、横山大樹アマに勝利して16連勝と記録を伸ばした藤井聡太4段。

今や時の人となった中学生棋士であるが、その天才と呼ばれる頭脳は、どのように作られたのだろうか? 紐解いてみると、そこには私たちの子育てにも役立つ秘訣が見えてくる。

2002年、愛知県瀬戸市に生まれた藤井少年。父はサラリーマン、母は専業主婦、そして4才年上の兄、家族誰もが将棋の世界とは無縁な、ごく普通の一家。藤井君はインタビューで「母親と一緒に奨励会(関西将棋会館)に行く2人分の新幹線代がもったいない」と言っていたように、特に裕福な家庭でもなかったよう。

裕福な家庭、特種な家庭で特別な教育環境があったわけではない藤井家。ちょっとした接し方、物の言い方、考え方を変えることで、私たち一般人の子供も、藤井君のような天才に育つ可能性は十分にありそうだ。

ごく普通の家庭から、なぜ天才が育ったのか? その幼少期のエピソードから探ってみたい。

藤井君が将棋を始めたのは5歳。祖母が持ってきた「スタディ将棋」という、子供には難しい将棋の駒の漢字を、動き方が矢印で書いてありわかりやすく遊べるという玩具がきっかけだと言う。

この「スタディ将棋」に藤井君は興味を示し、飽きずに祖母と遊んだという。ちなみに、藤井君の祖母は、この玩具を親戚や、他の子供たちにも与えてみたそうだが、関心を持ったのは彼だけだったという。

さらに幼少期の藤井君が、高い興味を持ったのが、親が買い与えてみた「キュボロ」という、積み木を組み立てビー玉を転がして遊ぶ立体パズル。これに熱中し、飽きずに1日中遊んでいた。

ここまでで推察されるのが、子供を天才に育てるには「可能性を与える」のが大切ではないかということだ。将棋玩具も、立体パズルも、興味を持つかどうかわからないがやらせてみる。その子の中に潜む「興味のスイッチ」を、いかに刺激できるかを試行錯誤するのが、天才を育てるひとつの要因と思われる。

ちなみに藤井君の小学生時代の文集には、「最近関心があること」として「将棋、読書、電王戦の結果、尖閣諸島問題、南海トラフ地震、名人戦の結果、原発」と書かれている。親が広く興味の選択肢を与えたであろう様子が見て取れる。

確かに子育てにおいて、日々の忙しさに追われ、「それダメ!」と頭ごなしに否定しまうことがある。さらにはダメな理由も説明せず、子供の挑戦の可能性を摘んでしまうことも少なくない。

子供はまだ未熟であるがゆえに、私たち大人のように理路整然と考えていない。思考も大人のようなロジカルな回路とは違い、常にあちこちに拡散している。それを大人に合わせるようにキレイにまとめようとするのは親のエゴであり、「罪」である。

疑問の固まりである子供に、何かを質問されたとき「忙しいから後で」と取り合わないのは論外であるが、つい面倒臭くなり、答えをすぐ教えてしまうのも、子供が天才に育つ芽を摘んでいる。「なぜだと思う? 考えを聞かせて? この本でちょっと調べてごらん」と、「考えるクセ」を与えるべきである。

藤井君が遊んだ将棋もパズルも、正解という答えがなく、いつまでも考えづけられることが出来たのがよかったのだろう。

天才・藤井4段と比べるべくもないが、筆者のような放送作家も多少の能力が求められる職業である。その根源となっているのが「可能性を広げる」ことである。

テレビの現実や、予算や、ルールに縛られ、アイデアがシュリンク(縮小)してしまいがちの現場で、「こんな可能性もあるよ、こんな事だって選択肢に入れてみよう、現実味はないけどこんなバカな考え方だって出来るよ」と、とにかくスタッフ一同の脳を活性化させる。それにより収束しがちな思考では思いもつかなかった可能性を、制約を取り払って拡散させてみることにより、新たの答えを見つけ出すのが私たちの仕事なのだ。

【参考】<箱根駅伝>青山学院大学・原晋監督にみる「若い人をその気にさせる伝え方」

最後に、子供を天才に育てる秘訣を母親のインタビューから見つけた。

「月に2回、名古屋から新幹線に乗って大阪の関西将棋連盟に通っていました。朝4時半に起きて朝食の準備をして、5時に聡太に食べさせて……。8時には将棋会館に到着するように、5時半には自宅を出発していました」

奨励会で6連敗したときには、

「会館の中では悔しさを胸の内におさめていたんだと思いますが、私と一緒に会館を出たとたんに、もう大泣き。自信を失っていたんだと思います。でも、私は、聡太の気が済むまで黙って見守るしかありません。それでも一緒に悲しんでいるつもりなんですが、聡太は『お母さん、ボクが負けると機嫌悪いよね』って言うんですよ(苦笑)」

つまり、「寄り添う」ということなのだ。

親の気持ちというのは、言葉で伝えるばかりではない。いやむしろ言葉以外、寄り添う態度で伝える事が重要なようだ。「なにがあってもこの親は私を応援してくれる、守ってくれる」という無償の安心感を伝えることが、子供を天才に育てるのではないだろうか。(その他、浅田真央、福原愛などを天才を天才たらしめた伝え方などを、拙著「人もお金も引き寄せる伝え方の魔法」http://amzn.to/2khGmmk で紹介しています。ご参照ください。)

また、藤井4段の母親はこんな言葉も残している。

「プロは厳しい世界。最年少だからといって、勝てる保証はありません。でも、本人が選んだ道だから、私は応援するだけ。聡太が勝つ姿が見たいです」
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