岡山空襲 復興の歩み  ◇戦災の記録と写真展 平和の尊さ訴え40回

(   もし、北朝鮮からミサイルが飛んできたら・・・・・。 岡山の街は・・・。)



 ◇生徒の勤労台帳や機銃銃弾展示

 1945年6月29日の岡山空襲を中心に、戦時中や戦後の復興を振り返る「第40回岡山戦災の記録と写真展―平和への思い、40年―」が、岡山市北区駅元町の岡山シティミュージアムで開かれている。近年市民から寄せられた新資料も含まれ、平和の尊さをかみしめる機会になりそうだ。7月2日まで。(水原靖)

 ■学徒動員

 初公開の40点を含む資料350点と写真パネル150枚を展示。今回は学徒動員の内容を手厚くした。天満屋岡山店で見つかったとされるジュラルミンの板は、当時、隣接していた航空機を作る軍需工場にあったものとみられる。この工場に勤労動員されていた学生は、空襲の際、同店の地下に避難するよう指示されていたらしい。

 旧南方国民学校高等科生徒の勤労に対する報償金の明細などをつづった台帳は、旧内山下小学校で昨夏、資料の整理中に見つかった。休日は月4日が原則で、学習は1週間に6時間と、厳しい労働実態がうかがえる。同市で同様の文書はほかに確認されていないという。

米軍機の機銃銃弾とわかった新資料=岡山空襲展示室提供

 ■米軍機銃弾

 2015年3月、市民から「自宅近くで銃弾のようなものを拾った」と寄せられたのが、長さ42ミリ、直径13ミリの金属製の円筒。内部は空洞だった。

 1945年11月以降に同市南区宮浦の畑で見つけたといい、調査の結果、同年6月に近くの山中に墜落した米爆撃機B29の機銃の銃弾の可能性が高いことが分かった。発射の際にできる痕はなく、先端部分は欠如。岡山空襲展示室の木村崇史学芸員は「(墜落後に)子どもが拾って遊んだ後に、この市民が拾ったのではないか」と推測する。

会場からの質問に答える =岡山空襲展示室提供
 ■記念講演会

 2日目の17日には、日本の生活史研究家で登録文化財「昭和のくらし博物館」(東京都大田区)の館長を務める小泉和子さんが、「戦争で破壊されたくらし」をテーマに講演。東京から学童集団疎開した経験に触れ、「食糧事情も悪化し、体重は著しく減り、栄養失調症になった」と回想した。

 その後、一家で疎開した横浜では45年5月29日の「横浜大空襲」を経験。B29爆撃機517機が飛来し、35万発、2570トンの焼夷しょうい弾が投下されたといい、「燃え上がる市街地を逃げまくった。戦争は人々の暮らしを壊す。戦争を起こしてはならない」と、参加者80人に訴えた。

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 40回記念として、同展第1回からの部内文書やパンフレット、ポスターなども展示している。開館時間は午前10時~午後6時(入館は午後5時半まで)。19、26日休館。入場無料。問い合わせなどは岡山空襲展示室(086・253・7070)。