岡山空襲73年 戦没者追悼式 1737人が犠牲 / 宗忠神社に岡山空襲避難の記憶


1700人以上が犠牲になった岡山空襲から、29日で73年です。
空襲や戦争で亡くなった人を悼む戦没者追悼式が、岡山市北区で開かれました。

焼夷弾が市街地を襲ったあの日から73年です。
追悼式典は、28年前から毎年開かれています。
岡山市北区の市民会館には岡山空襲で亡くなった人など戦没者の遺族と市民約1500人が訪れました。
岡山空襲では、約9万5000発の焼夷弾が投下され、1700人以上が犠牲になりました。
式典では、遺族を代表して須々木壽志さんが追悼の言葉を述べました。
29日は、小中学生約460人も花を手向け、子どもたちをも巻き込んだ戦争に思いを馳せていました。
戦争を経験した人の高齢化が進む中、世代を超え多くの市民が平和への思いを共有した、73年目の岡山空襲の日です。

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1737人が犠牲 岡山空襲から73年…岡山市で戦没者追悼式

1700人以上の死者を出した岡山空襲から、29日で73年です。岡山市で戦没者の追悼式が行われました。

 式典には遺族や市内の小中学生ら約1600人が参列しました。

 1945年6月29日未明の岡山空襲では、アメリカ軍の爆撃機が落とした焼夷弾9万5千発により、市街地の6割が焼失し
1737人が犠牲になりました。

(79歳女性)
「夏布団を母と2人かぶって家から走って逃げた。周りの家がみな焼けてね怖かったですね。戦争なんて大反対だわ」
(87歳男性)
「家の近くに焼夷弾が落ちた。幸い家は焼けなんです。今の憲法守るほうがええよな。戦争がないほうがいいです」

1737人が犠牲 岡山空襲から73年…岡山市で戦没者追悼式
献花する遺族ら
 29日は、戦地で亡くなった岡山市出身者1万198人も合わせて、黙祷をささげて冥福を祈りました。

 遺族代表の竹内秀男さんは「遺族会は高齢化が進み、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えるのが大きな課題になっている」と述べました。

(岡山市立香和中学校/川田岳輝さん)
「だからこそ私たちの役割は、ますます大きなものになっていると思います。まずは戦争を知ること」
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宗忠神社に岡山空襲避難の記憶

 太平洋戦争末期、1700人以上の命を奪った岡山空襲から29日で73年。当時の様子をうかがう資料や痕跡は今も多く残され、戦争の悲惨さを私たちに伝えている。 ◇ 板張りの回廊は、ところどころ黒く変色している。黒住教の宗忠神社(岡山市北区上中野)の拝殿に残された岡山空襲の記憶だ。 市街地は焦土となったが、郊外の同神社は戦火を免れ、市民の避難場所となった。回廊は臨時の炊事場になり、こんろ(しちりん)が使われ、焦げ痕が残った。 「あの日のことは鮮明に覚えている」と振り返る黒住宗晴名誉教主(80)は当時、小学2年生だった。境内の防空壕(ごう)に逃げ込み、市街地の方角の東の空を見上げると、大きな花火のように焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、神社にも破片が落ちてきた。 翌朝、家を失った大勢の市民が駆け込んできた。拝殿や大教殿(神殿、現・黒住教武道館)での避難生活はしばらく続いた。 あれから73年。回廊に手を入れることはなく、焦げ痕はそのままにしてきた。黒住名誉教主は言う。 「戦争の記憶を決して風化させてはならない」
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<岡山空襲>73年 語り継ぐ平和の尊さ 戦没者追悼式に1600人


岡山空襲から73年を迎えた29日、岡山市戦没者追悼式が市民会館(同市北区)で営まれた。遺族や市民ら約1600人が参列。戦争犠牲者の冥福を祈り、平和の大切さを語り継いでいくことを誓った。

 岡山空襲は1945年6月29日未明に発生。市街地に大量の焼夷(しょうい)弾が降り注ぎ、1700人以上が亡くなった。追悼式では、参列者たちが1分間の黙とうをささげた後、会場内に設けられた献花台に菊の花を供え、犠牲者をしのんだ。

 大森雅夫市長は「戦後、市民は幾多の困難を乗り越え、今日の平和と繁栄を築いてきた。いつまでも安全・安心に暮らし続けられるよう、たゆみない努力を続けることを誓う」とあいさつした。

 市戦災遺族会代表で、妹を岡山空襲で亡くした竹内秀男さん(82)は「今も当時の状況をはっきりと覚えている」と振り返った。また、高齢化で遺族会の参加者が年々減少していることに触れ、「戦争の悲惨さと平和の尊さを後世に語り継ぐのが大きな課題だ」とかみしめるように語った。
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