【岡山から伝えたい】「水が来るぞ!」叫びながら自宅へ 真備であの日何が、濁流の証言

( 生活圏の「ハザードマップ」の確認と「ハザード行動」メモの作成・・・・ 「命を守るメモ」 )
「マップが身近なものと感じられるよう、作成時から住民の意見をよく聞くことが大切。(書き込んで学べる)ワークブック形式を採用するなど内容にも工夫が必要だ」


  200人以上の死者が出る「平成最悪」の水害となった西日本豪雨。被災地の地元メディアである山陽新聞が被害の実態を伝える。記録的な雨量で岡山県内各地に深い爪痕を残した西日本豪雨は、最初に大雨特別警報が発令されてから、6日で1カ月を迎えた。4河川8カ所の堤防が決壊し、甚大な浸水被害を受けた倉敷市真備町地区では、生活再建に向けた復旧が少しずつ進む一方、詳しい浸水域の拡大状況や堤防決壊のメカニズムは判然とせず、大規模災害に対する備えのためにも実像をあぶり出す作業が急がれる。

 被災した住民たちへの取材で、未曽有の災害の実態に迫る数々の証言を得た。地区内を東西に流れる小田川の水位が上昇し、支流の水が流れ込みにくくなって逆流する「バックウオーター現象」の目撃情報が複数あったほか、倉敷市が避難指示を出す1時間以上前に、少なくとも支流2カ所の堤防が決壊していた可能性が高いことも判明した。

 倉敷市北西部に位置し、国道486号や井原線が貫く倉敷、総社市のベッドタウンとして約2万2千人が暮らす。タケノコ産地としても知られる真備町地区は、豪雨と堤防決壊に伴う濁流に全域の3割に当たる約1200ヘクタールがのみ込まれ、死者は51人、被災家屋は推計で4600戸に上った。

 浸水域はどのように広がり、その時、住民たちは何を目にし、どう行動したのか。なぜ多くの命が奪われたのか―。現地で繰り広げられた救助活動、災害に対する日頃の備えの検証を含め、証言を基にリポートする。


小田川(手前右)と支流・高馬川の合流部。付近には大きな水たまりが点在し、仮復旧作業中の決壊箇所は一部が青いビニールシートで覆われていた=7月26日、倉敷市真備町地区
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 「水が来るぞ!」。降り続く雨の中、声の限りに叫びながら30メートルほど離れた自宅へと駆けだしたのを覚えている。7月6日午後11時半すぎ、会社員須増国生さん(57)=倉敷市真備町箭田=は小田川に北方向から注ぐ高馬川の西岸にいた。水位が気掛かりだった。

 不安は当たった。

 小田川から押し戻されているのか、水が上流の方へ向かっている。そう思うや否や、堤防を越えた水はのり面の土を削るようにして宅地に向かって流れ出した。自宅で避難所生活の支度を急いで整え、玄関を出ると言葉を失った。押し寄せる濁流に腰まで漬かった。

 高さ1・3メートルの門柱の上に逃げたが、すぐにのまれた。庭の松に何とかしがみつき、助けを待った。消防隊員に救助されるまで約30分。「生きた心地がしなかった」と振り返る。

 高馬川は幅5メートル程度。西岸に続き、向かいの東岸堤防も決壊が確認された。いずれも小田川との合流部付近だった。小田川の水位が上がり、水が流れにくくなって逆流する「バックウオーター現象」が支流で発生して堤防を破断させた可能性が高いと、専門家は指摘している。

渦を巻く
 地区内4河川8カ所で堤防が決壊した真備町地区。倉敷市は7月7日午前1時半、高馬川のある北エリアへ避難指示を出したが、住民たちは高馬川西岸と、同じく北方向から小田川につながる末政川の西岸の計2カ所が避難指示以前に決壊していたと証言する。

 川幅7メートルほど。末政川の水が逆流して渦を巻く様子を会社員三宅宏始さん(37)=同町有井=は目の当たりにした。小田川合流部から500メートルほどの地点だ。ここで西岸の流失を目にした。7日午前0時すぎだったと記憶している。

 「日頃は穏やかな“小川”。荒れ狂いだして身震いした」。三宅さんによると、末政川からの濁流を受け、あちこちの民家がきしんだり、ガラスの割れたりする音を響かせ、倒れるように流される家もあった。

 地区内を東西に貫き、川幅が200メートル以上ある小田川でも異変が起きた。高馬川との合流部付近で北岸が決壊した。付近の住民たちは、7日午前2時~5時ごろには堤防が破断していたと口をそろえる。当時、浸水深が2メートル以上へと一気に達したためだ。

 西岸が決壊していた末政川は、東岸も2カ所が流失していたことが7日午前6時半~7時ごろに判明する。目撃したのは、末政川に架かる有井橋たもとのタクシー会社で代表を務める平井啓之さん(46)=岡山市北区。直前まで車が行き交っていた東岸側の道路が見る見る浸水し、川に目をやって気付いた。

 6日深夜の高馬川西岸に続き、末政川西岸、小田川北岸から流れ出た水は、市真備支所がある地区中心部(末政川以西、小田川以北)を水浸しに。7日早朝の末政川東岸の決壊により、濁流は被害を免れていた末政川以東ものみ込んだ―。

 住民たちの証言を突き合わせると、深夜から早朝にかけて断続的に堤防が決壊し、時間差で地域に浸水が広がっていったとの推定が浮かび上がってくる。


決壊した末政川の東岸(中央)。水は普段、有井橋(左)の下をくぐり、手前に向かって流れていた=7月9日、倉敷市真備町有井
無力感
 倉敷市では7日午前10時10分までの48時間雨量が267・5ミリに達し、観測史上最大を記録した。小田川が接続する高梁川の水位は同日、12メートル以上となり、氾濫危険水位を初めて超えた。小田川の水が流れ込みづらくなり、影響は小田川や支流の高馬川、末政川にまで及んだのか。

 玉島消防署予防係の大森啓史さん(37)は当直勤務中の6日深夜から7日昼にかけ、住民からの救助要請を受け続けた。<首まで水が迫っている><子ども2人だけでも助けてほしい>…。浸水区域が広範囲に及び、救助に出動しようにも手段がなく、無力感にとらわれた。

 「『屋根の上で耐えてください』『必ず助けにいきます』。そう繰り返すしかなかった」

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堤防決壊の真備町 特別警報が出た時には…

西日本各地に甚大な被害をもたらした豪雨から6日で1か月。堤防が決壊した岡山県倉敷市真備町では、特別警報が出た時には、既に避難が難しくなっていた。

真備町の末政川は今はほとんど水がない。決壊した堤防はこの1か月で元の堤防と同じ高さまで土のうを積み上げる応急工事が完了した。しかし、被害にあった住宅は大きく壊れ、土砂が流れ込み、元の生活を取り戻せていない。

真備町では、末政川など8か所で堤防が決壊し、住宅の半数以上が浸水。まび記念病院などに多くの方が取り残された。岡山県全体の死者61人の内51人が真備町で亡くなった。

実はこの堤防が決壊する前から大雨で町が浸水し、避難が困難だった。そうした中、堤防が決壊し濁流が住宅に押し寄せた。

また、被災した家から出た災害廃棄物も深刻。回収や処理が追いつかず、町内の至る所に積まれているのを目にした。今も猛暑の中、住民の皆さんは、家の片付けに追われている。

先週の台風12号の時、真備町の多くの方が、台風の接近前に避難した。そうした早めの避難。特別警報が出る前に、川が氾濫する前に逃げることで、命は守れるのではないだろうか。
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豪雨1カ月「住民が消えたまち」


 西日本豪雨から6日で1カ月を迎えるのを前に、面積の3割が水没した倉敷市真備町地区を取材した。被災直後、がれきと泥にまみれ、壊滅状態だった現地では、建物の片付けが進み、店や医療機関も業務を再開している。少しずつ復旧へと向かっていることを実感した一方で、厳しい現実も目の当たりにした。それは「住民が消えたまち」の姿だった。 総社市方面から国道486号を進み、真備町地区に入った。豪雨の後、ようやく水が引いた7月9日の取材と同じルートだ。 当時は家屋や道路は泥だらけで、至る所で車が裏返しになっていた。それから1カ月近く。家屋の屋根や商業施設の看板はきれいになり、茶色だった路面もアスファルトの色に戻っていた。 コンビニ、飲食店、ドラッグストアにも「オープン」「営業中」を伝える看板やのぼりが並ぶ。水没し機能がダウンした中核病院「まび記念病院」(川辺)はプレハブで診療を始め、クリニックや薬局なども順次再開している。 

■客足5分の1 「日常」を取り戻しつつある様子を確認しながら住宅街に入ると、“異変”に気付いた。 住民の姿がほとんど見られない—。 「被災後の1、2週間は家の片付けで近所の人たちとよく顔を合わせていたが、最近は見掛けない。どこで暮らしているかも分からない」 改修する自宅の様子を見にきていた会社員男性(50)の言葉が、地域の現状を表している。 被災後、いち早く営業を再開したディスカウントストアの「ディオ真備店」(川辺)。7月14日の再開直後は水や食料などを買い求める住民が目立った。だが、今は復旧ボランティアや工事業者ら町外からの客が大半で、客足は被災前の5分の1ほどに減ったという。 被災者の中には新たな生活拠点を求めて町外に移る決断をした人も少なくないようだ。二万小(上二万)に避難している男性(82)は「うちの団地は10軒ほどだが、残るのは3、4軒だろう。年に何度か皆で食事会を開いていたのが思い出されますね…」と肩を落とす。 

■また一から 地域は元に戻るのか—。不安を抱えながらも、再建を期す人たちもいる。 真備町・呉妹地区社会福祉協議会は12日、呉妹小(妹)で支援物資が配られるのに合わせ、喫茶コーナーを設ける。離れて避難生活している同地区の住民が集まって語り合い、もう一度地域のつながりを感じてもらおうと企画した。 「今まで住民同士が支え合って暮らしてきた。人とのつながりがなく、ただ住むだけでは本当の復興にはならない」と同協議会の森本常男会長(65)。自身も全壊した自宅から離れて町外の仮設住宅に一時的に移る予定だが、「この地でやり直したい。また一から、ゆっくりやりますよ」と笑顔で話した。


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2015 0915


倉敷市洪水・土砂災害ハザードマップ (平成28年8月作成、平成29年2月更新)

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岡山 倉敷 真備 ハザードマップ 住民に浸透不十分  西日本豪雨

「マップが身近なものと感じられるよう、作成時から住民の意見をよく聞くことが大切。(書き込んで学べる)ワークブック形式を採用するなど内容にも工夫が必要だ」


  西日本豪雨を機に、浸水や土砂災害の危険箇所を示す「ハザードマップ」(危険予測地図)が住民に浸透していないという課題が浮かび上がっている。甚大な浸水被害が起きた倉敷市真備町地区でも認知度は低く、避難時に生かされなかったとの声が目立つ。同地区ではマップの予測と実際の浸水範囲がほぼ合致。国は各自治体に住民への周知徹底をあらためて要請している。 「マップは一度見たことがあるくらい。これまで避難した経験もなく、自宅は大丈夫だと思っていた」 倉敷市真備町地区で被災した男性(69)が話す。雨が激しさを増していた先月7日、自宅から周囲の様子を見ていたところ、水かさが一気に増して2階近くまで浸水。近所の住民からボートを借りて何とか避難した。

■予測とほぼ一致 山陽新聞社が真備町地区の住民100人に先月行ったアンケートによると、75%がマップの存在を知っていたが、内容を理解していたのは24%にとどまった。同地区の別の男性(79)も「配られたときにざっと見た程度」と打ち明ける。 倉敷市は2016年に洪水・土砂災害ハザードマップを改訂し、高梁川や小田川が決壊した場合の浸水区域や深さを程度に応じ色分けして表示した。今回の豪雨では同地区の3割に当たる約1200ヘクタールが浸水し、予測と実際の浸水範囲がほぼ一致。住民に周知徹底されていれば、犠牲者は減らせた可能性がある。 市はこれまで、市広報紙とともにマップを全世帯に配布。広報紙でマップの使い方などの特集を組んだほか、自主防災組織などの依頼を受けて出前講座を開き、17年度は市内で48回(真備町では1回)開催し、マップの存在を知らせてきた。 それでも今回の豪雨で真備町地区では51人の死者が出た。市担当課は「マップが避難に生かせていなかったとすれば非常に悔やまれる」と声を落とす。


■身近なものに  周知不足は倉敷市に限らないようだ。砂川の決壊で周辺の2230棟が浸水した岡山市。16年3月に洪水・土砂災害のマップを改訂し、使い方の出前講座などを市全域で年170回程度開いているものの、防災担当者は「来るのは防災意識の高い人。家族や近所には広がらない」とこぼす。 真庭市は出前講座のほか、水害が起こりやすい5、6月に広報紙でマップ活用を呼び掛けてきたが「すぐ取り出せる場所に保管されていない。新たな周知方法を考えねば」と担当者は言う。 国土交通省は西日本豪雨を受け7月13日付で、マップを住民に周知徹底するよう各都道府県に通知。石井啓一国交相は会見で「マップの存在が知られていないなど、防災情報の確実な提供には改善すべき点がある」と語った。 防災マップに詳しい山陽学園大の渋谷俊彦教授(建築学)は「マップが身近なものと感じられるよう、作成時から住民の意見をよく聞くことが大切。(書き込んで学べる)ワークブック形式を採用するなど内容にも工夫が必要だ」と指摘する。
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