【岡山の歴史 再発見(古代史)】天険の地に築かれた古代古城 総社市・鬼ノ城
岡山 鬼ノ城


(岡山は、城の宝庫! 「天空の城」の備前松山城 や「水攻め」の備中高松城 や 戦国の「岡山城」、・・古代古城『鬼ノ城』がある。)

 築城者、築城時期、その全てが不明…。謎の満ちた古城跡、復元門(西門)が岡山県総社市の鬼城山に毅然(きぜん)とそびえ立つ。ただ、その築城目的は日本(倭)防衛という壮大なスケールだった?岡山県内の城を巡る第3弾は、天険の地に築かれた古代古城『鬼ノ城』。ベールに包まれたその謎に迫る。


 戦国大名が拠点にしていたわけでもなく、それ以前の源平合戦でもまだ歴史に登場しない。しかし、この『鬼ノ城』は日本城郭協会による「日本の100名城」でも堂々とその名を連ねている。

 鬼ノ城は吉備平野を見下ろす397メートルの鬼城山に築かれていたという。しかも、城内は約30ヘクタール(東京ドーム6・4個分)という広さで、山頂を取り囲むように築かれた城壁は全長約2・8キロにも及ぶというもの。

 謎が多いということから、登城する前に復元した模型、土塁の壁などが展示されている『鬼城山ビジターセンター』で予備知識を詰め込んだ。

 それによると、まず明確な築城者が不明。築城時期も定かではないが、出土遺物から7世紀後半と予測される。

 この時代、大和朝廷(倭)は対馬から畿内にかけてこのような砦(とりで)を数カ所造営している。これは白村江の戦い(663年)で百済の要請を受けて出兵した倭国が、唐・新羅軍に大敗したことが大いに影響していると考えられている。

 日本書紀によると、大野城(福岡県)、金田城(長崎県)、屋島城(香川県)、高安城(奈良県)などが、朝鮮半島の動乱に関連して築城したという記載がある。また、百済からの亡命貴族が築城を指導したともいわれている。

 さて、ビジターセンターを出て登城開始。遊歩道を昇って行くと、最初に目に飛び込むのが推定復元された西門だ。城内には東西南北の城門が構築されているが、西門はこの城跡のメイン遺構だ。実際、この門をくぐっても戦国風の天守閣がそびえ立っていることもなければ、櫓(やぐら)も存在しない。しかし、7世紀後半に築かれたとは思えない石垣群は圧巻そのものだ。そして、眼下には見渡す限りの絶景…。

 なぜこの中国山地の山奥深くに、唐や朝鮮半島からの侵略に備えた山城を築かなければならなかったのか。ここからは四国本部長Zの推測だ。

 南を向けば東西に延びる山陽道、さらにその先には瀬戸内海に浮かぶ小豆島や四国まで一望できる。特に瀬戸内海は海外交流交易の主海路だった。当時の吉備津(港)は東西航路の中間点にあり、鬼ノ城からはわずか約11キロにあったとされる。つまり本土侵攻をもくろむ敵の動きをせき止め、畿内侵入を防ぐ最重要拠点だったのではないか。

 いつの時代でも大陸と朝鮮半島の動乱に振り回され続ける日本。築城者、築城時期、明確な築城目的など、史書に記載がないことから全てにおいてミステリアスだからこそ、想像力を膨らませて訪れたい名城といえる。

 ◆所在地 鬼城山ビジターセンター 〒719−1105 岡山県総社市黒尾1101の2

 ◆アクセス JR吉備線「服部」駅から約5キロ。(JR総社駅からタクシーで約20分)
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岡山 鬼の城 みどころ
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総社 鬼の城 から 岡山 造山古墳

2つの「天空の城」(岡山と兵庫)=岡山・備中松山城 と 兵庫・竹田城跡=
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岡山 【ボランティア情報】倉敷市
  ニーズは依然高いが、日により受け入れ可能人数が異なるので、市災害ボランティアセンター(086—697—0111)はホームページなどからの事前申し込みを勧めている。 当日は市真備健康福祉館(まびいきいきプラザ、同市真備町川辺)の同センターで午前9時〜10時に受け付け。最寄りは井原線・川辺宿駅。JR新倉敷駅からの送迎バス(午前8時半、9時、9時半)や併設駐車場も利用できる。被災者の派遣要望は午前9時〜午後4時に電話で受け付ける。
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