政治の行方 長期政権の真価が問われる(「少子高齢化問題」から「多産化高齢活用戦略」の転換を)

 統一地方選と参院選、そして消費増税…。国内政治は今年、大きな節目を迎える。とくに新しい元号のもとで迎える参院選は、文字通りポスト平成時代の行方を占う選挙となる。
 勝敗が安倍晋三政権の命運を左右するのは言うまでもない。7年目に入った政権にとって、まさに正念場の年となるはずだ。
 通算の首相在任期間は歴代最長もうかがう。支持率はなお安定感を示しているが、一方で政権の長期化がもたらす「緩み」は目をおおうばかりになってきた。
■極まる国会の形骸化
 昨年は働き方改革関連法や改正入管難民法など、私たちの暮らしや社会を大きく変える重要な法律が相次ぎ成立した。いずれも熟議にはほど遠く、議論の土台さえまともに示されないまま、強引な採決が繰り返された。
 国会審議の形骸化は極まった感がある。ずさんな制度設計がそのままになってしまい、結局は政策が行き詰まることになる。
 消費増税対策の大盤振る舞いには「何のための増税か」と批判が集中した。やろうとしていることが、ちぐはぐ過ぎないか。
 緩みにとどまらず、腐敗を印象づけたのは公文書改ざん問題だった。「全体の奉仕者」としての官僚のあるべき姿を逸脱し、民主国家、法治国家としての日本の姿にまで疑問符がついた。
 政治家の質の低下が指摘され、失言や暴言が相次ぐ。「本来なら内閣が倒れてもおかしくない」。そんな声を何度も聞いた気がする。政治から緊張感が決定的に失われている。
 そんな安倍政権が長く続いてきたのは、さまざまな理由があるからだろう。
 デフレからの脱却を掲げ、アベノミクスに期待も高まった。「地方創生」「1億総活躍」…次々と繰り出すスローガンは「改革」を印象づけ、若い世代の支持を集めているとの見方もある。
 だが、さすがに6年を経過して中身と成果が問われよう。景気回復は続いているものの、賃上げは進まず、消費もふるわない。少子高齢化や地方の衰退など課題は深刻化する一方だ。
 将来図が描かれないまま国の予算規模は膨らみ続け、ついに100兆円を超えた。借金も積み重なり、国民の不安も募る―そんな悪循環が続いている。
 せっかくの長期政権なのに、困難に向き合い、打開の道を探ろうという姿勢が乏しい。責任を果たすべきだ。
 なぜ、こんな状況に陥ってしまったのか。
 平成時代が始まったころ、問われていたのは「政治とカネ」の問題や派閥政治の弊害だった。
 ポスト冷戦時代を迎え、そんな古い政治から脱却するために、米英の二大政党制を目指して衆院選に小選挙区制が導入された。
 小沢一郎氏の「普通の国」、武村正義氏の「小さくともキラリと光る国」など日本の進むべき道を問う機運もあった。導入に懐疑的な意見もあったが、結局は大きな声に流された。
■二大政党制には遠く
 しかし、平成が終わろうとする今、目の前にあるのは巨大な与党と、すっかり弱体化した野党である。やはり制度設計に無理があったのだろうか。
 1度は政権を担った旧民主党の責任は重い。政権交代そのものが目的のようになってしまい、交代後に新たな日本を築いていくビジョンと手腕に欠けた。その反動が現政権の長期化の一因になっているのは間違いない。
 だが、いつまでも停滞を続けるわけにはいかない。今年こそ、新たな発想で日本の針路を見つめ直すチャンスではないか。
 野党は共闘の話だけでなく、与党と建設的な議論をするために、選択肢をつくることが求められている。野党も正念場である。
 参院選の結果次第では、首相の求心力低下も避けられない。注目されるのは衆院解散のカードを切るかどうかだろう。
 衆参ダブル選の可能性も否定できない。そうなれば新たな時代はさらに大きな政治選択の中で迎えることになる。私たち一人一人の見識が問われる。
■深刻な「なり手不足」
 国政と同様、いやそれ以上に深刻なのが地方政治の現状だ。
 4年に1度の統一地方選だが、投票率は低落傾向にあり、小規模な町村を中心に無投票となるケースも増えている。何より議員のなり手が不足している。
 17年に高知県の大川村で、議会の代わりに住民による「町村総会」の導入が検討されたことは記憶に新しい。地域を引っ張ってきた、身近な民主主義の場が崩壊の危機に直面している。
 映し出されるのは地方の衰退そのものだ。政府は「地方創生」を掲げて活性化策を講じてきたが、大都市集中は進み、東京圏は22年連続で転入超過となった。
 自治体の存続自体が厳しさを増す中で、地方政治の再生は容易ではない。今まで以上に知恵と工夫が求められる。