新元号「令和」をめぐって:世界各地で話題 「ルーツは中国」(「令和」の典拠は、万葉集 VS「帰田賦(きでんのふ)」という詩)「コナン心配」/  「令和」の元ネタは中国の古典なのに…
令和 新元号

新元号「令和」は、オシャレ感もあり、国民に定着するいい名称である。

各メディアは、この元号の意味をどう訳したのだろうか?

BBCは、令和の「令」の字は「order(秩序)」や「command(命令)」、「和」の字は「peace(平和)」や「harmony(ハーモニー)」を意味する、と書いている。

一方、同じイギリスのメディアであるガーディアンは、新元号は「fortunate(幸運)」「auspicious(幸先の良い)」と「peace(平和)」「harmony(ハーモニー)」を意味する、と報じている。

アメリカの経済メディア、ウォール・ストリート・ジャーナルも、「令」は「auspicious(幸先の良い)」を意味し、「和」を「peace(平和)」と訳した。

さらにオーストラリアのABCニュースは、元号が令和に決まったが、それが何を意味するかはまだ明らかではないと、説明を控えている。


( 新元号「令和」は、オシャレ感もあり、国民に定着するいい名である。政治的には、「万葉集」という国書からという説明は、ありである。しかし、学者が、「令和」を「万葉集」から選んだということは残念である。「万葉集」は、当然、漢籍の影響をうけいる。実際、令和の出典について。78年-139年の張衡の文(「帰田賦」内)は当然万葉集より先で出典と言われても納得できる。しかも張衡は『また、天文・暦算に通じ、渾天儀・候風地動儀(一種の地震計)を作り、円周率の近似値を算出[広辞苑 第七版]」』とのこと記載がある。(  令和」出典の遡源 『万葉集』←『蘭亭序』『文選』←『礼記』とあり『礼記』なら最高格の漢籍として申し分ない。 中国 蘭亭序(らんていじょ)は、王羲之が書いた書道史上最も有名な書作品。)


「令月」は漢籍の辞書にも載っている。学者としては、当然、承知のはずである。

新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』(高校や予備校や図書館にもある本)の補注に指摘されています。「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」

繰り返すが、「令月」は漢籍の辞書にも載っている。学者としては、当然、承知のはずである。

=「万葉集」という国書=
新元号「令和」の出典は、『万葉集』の「梅花の歌32首」の序。太宰帥の大伴旅人邸で梅花の宴が開かれ、太宰府官人などが歌を詠んだもの。序は旅人自身が作ったとされています。「あたかも初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。」(『万葉集(二)』

花といえば、中国では、梅であり、日本は、桜である。

大伴旅人らが、「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」に感動し、思わず「パクッテ」しまったのだろう。


 ある政治記者のよれば、「令和」は、3月20日?(3月14日からの再提出)に後から、加えられたそうだ。そこには、意図を感じる。保守という伝統を守るなら、漢籍から選べばよい。そうでなく、新しいチャレンジと言いながら、中途半端である。この学者も「被害者?」かもしれない。「令和」のほか、「英弘(えいこう) 国書」「広至(こうじ) 国書(漢籍)」「万和(ばんな) 漢籍」「万保(ばんほ) 漢籍」「久化(きゅうか) 漢籍」などの6案の典拠は国書と漢籍が三つずつで、国書は「令和」の万葉集に加え、日本書紀、古事記だった。



まとめ
新元号「令和」は、「『万葉集』の「梅花の歌32首」の序」 と 「中国の詩人 張衡という「帰田賦・文選巻十五)」」の出典である。



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「令和以外の5つはケチのつけようがない」東大教授が指摘する『令』が抱える3つの問題



 新元号「令和(れいわ)」を決定する過程で、政府が検討した6つの最終案がすべて明らかになった。

 日本の古典に由来する案は3案で、「令和」のほか、日本書紀を出典とする「英弘(えいこう)」、日本古典と中国の詩経を出典とする「広至(こうし)」が検討されていた。また、中国の古典からは「万和(ばんな)」「万保(ばんぽう)」「久化(きゅうか)」の3案が出ていた。

 1日放送のテレビ朝日系『スーパーJチャンネル』に出演した安倍総理は、有識者懇談会では全員が出典を日本の古典にすることで一致し、「令和」を推す声が最も多かったと明らかにした。


 そうしたなか、「『令和』以外の5つはケチのつけようがない」と指摘するのは、歴史学者で東京大学史料編纂所の本郷和人教授。令和の「令」の字に理由があるとして、3つの点を説明する。

 「『令』は上から下に何か『命令』する時に使う字。国民一人ひとりが自発的に活躍するという説明の趣旨とは異なるのではないかというのが、まずひとつ批判の対象にならざるを得ない。

 もうひとつは、『巧言令色鮮し仁』という故事。“口先がうまく、顔色がやわらげて、人を喜ばせ、媚びへつらうことは、仁の心に欠けている”という意味で、この『仁』は儒教で最も大切な概念。今でいう『愛』を意味し、それに一番遠いのが巧言令色だと言っている。そこが引っかかる。


 皇太子殿下は日本中世史の研究者で、当然『令旨』という言葉もご存知だと思う。これは皇太子殿下の命令という意味で、天皇の命令ではない。つまり、『令』という字は皇太子と密接な結びつきがあるもので、天皇の密接な関係があるのは『勅』『宣』などの字。(天皇の生前退位で定める)新元号とは少しずれている」

 本郷氏はこれらを踏まえ、「普通に使うと使役表現となり、中世の人に読ませると『人に命令して仲良くさせる』となる。日本の古典から取ることは何の問題もないと思っているが、どうも自発的な感覚ではなくなってしまう」と改めて述べた。


 これを受けてフリーアナウンサーの柴田阿弥は「決まってしまったものはどうしようもないですし、本郷先生が言うように捉える人がいるだろうということも想像できる。いろいろな意見があって然るべきだし、どんな元号かよりもどんな時代にしていくかの方が大切かもしれない」と意見を述べていた。

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慶応
“慶雲応輝,皇階授木。”
《昭明文選》

明治
“聖人南面而聴天下,向明而治。”
《易経》

大正
“剛中而応,大享以正,天之道也。”
《易経》

昭和
“百姓昭明,協和万邦。”
《尚書》

平成
“父義,母慈,兄友,弟恭,子孝,内平外成。”
《史記》

令和
“初春令月 気淑風和。”
《万葉集》

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「令和」、世界各地で話題 「ルーツは中国」「コナン心配」


1日、日本の新元号決定のニュースは、元号のルーツともいえる中国のほか、元号にはなじみの薄い国々でも話題を呼んだ。

 清朝を最後に、元号が使われなくなった中国。外務省の耿爽副報道局長は1日の会見で、新元号について「日本の内政については論評しない」と答えるにとどめた。

 国営新華社通信などの主流メディアも淡々と報道しただけだった。

 しかし、人民日報系の国際情報紙・環球時報などは発表後から電子版で一斉に速報。初めて中国の古典から引用されなかったことも伝え、「脱中国化」といった紹介もあった。

 「令和」の典拠となった万葉集より数百年前、張衡(ちょうこう)という文人が詠んだ「帰田賦(きでんのふ)」という詩によく似た一節があるとの指摘が広がり、「ルーツは中国のものだ」といった書き込みも。一方、「中国は残念ながら(元号の)伝統を自ら捨ててしまった」「他国のことをとやかくいう資格はない」と嘆く声もあった。

 発表前、日本で新たな年号の候補として「永和」が一部で予想に上がったことから、中国では同じ名を冠した中華ファストフードチェーン「永和大王」が話題になった。北京の知的財産権調査会社によると、「令和」は河北省の個人が昨年10月から10年間、酒の商標として登録しているという。

 また、日本のアニメが好きな若者の間では「名探偵コナン」が「平成のシャーロック・ホームズ」と呼ばれていることから、「コナンの時代が終わってしまう」と心配する声も出た。

 台湾での注目度は高く、地元テレビは日本の官房長官会見を生中継で報じた。

 中国の古典ではなく日本の「国書」を典拠とした点については、「脱中国化」などの言葉を使って紹介。台湾は普段、中国側の統一圧力や文化的な影響力にさらされているだけに、関心を集めている。

 インド・ダラムサラのチベット亡命政府関係者によると、「レイワ」という音はチベット語で「希望」を意味する言葉に似ている。日常会話でもよく使われる言葉で親しみが持たれるといい、この関係者は「とても良い言葉だ」と話す。
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令和の出典、漢籍の影響か 1~2世紀の「文選」にも表現


初の「和風元号」の出典となった「万葉集」の「初春令月、気淑風和」との文言について、複数の漢学者らから、中国の詩文集「文選(もんぜん)」にある「仲春令月、時和気清」の句の影響を受けているとの指摘が出ている。


 万葉集が8世紀末ごろの成立とされるのに対し、中国の美文をまとめた文選は6世紀に成立。7~8世紀の遣隋使(けんずいし)・遣唐使が持ち帰ったとみられ、文章を作る上での最高の模範とされた。「仲春」の句は、1~2世紀の文人政治家の張衡(ちょうこう)の作品。張衡は地震計の作製など科学者の先駆としても知られる。

 万葉集と文選の当該部分は、初春と仲春と時期がやや違うが、「令月」との表現や、陽気の説明の「和」が一致する。

 平安前期ごろまでに成立した日本書紀をはじめとする古典は、中国古典の表現を元にして書かれた部分が多いとされる。元号の出典にする場合、「中国の古典の表現を孫引きすることになる」との指摘が出ていた。だが、元号に詳しい所功・京都産業大名誉教授は「日本人は外国から取り入れたものを活用してきたわけで、単なるまねではなく、自分たちのものとして利用してきた」と評価する。

 中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

 今回初めて漢籍から選ばれなかったことに注目が集まるが、中国哲学の宇野茂彦・中央大名誉教授は「日本の文化というのは漢籍に負うところが非常に多い。文化に国境は無い。漢籍を異国の文化だと思わないでほしい」と語る。

 政府は「文選」が原典に当たるかなどについて評価は避けている。

 今回の出典をどう評価するか。改元時に公家らが行った審議「難陳(なんちん)」で、中国古典だけでなく日本書紀も引用されたことがあったことを先月論文で初めて指摘した水上雅晴・中央大教授は「文選との類似性が考えられ、隠れた典拠にやはり漢籍があることになる」としつつ、「日本で1300年以上使い続けられている元号の典拠がはじめて国書になったのだから、画期的な年号と言える」と意義づける。

 水上氏は、江戸時代末に「令徳」の元号案が出た際、「徳川に命令する」という意味にも読めることから幕府が撤回させたと指摘。令和について「和(日本)に命令する」とも読めるが、今回どんな議論がされたのか気になるという。

 難陳の議論は、公家が多数の記録を残し、後世の参考にしてきた。今回の議論はどうだったのか。平成改元の記録未公開をどう考えるか。水上氏は「改元手続きについては、慌てて準備するのではなく、制度をきちんと整えることを考えるべきだ。『令和』改元からは、いつ公表するかは別問題として、細部に至るまでの記録をしっかり残してほしい」と要望した。
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新元号「令和」の意味を、海外メディアはどう訳した?
平成は「achieving peace(平和を達成する)」。令和は…?

新しい元号が「令和」に決まった。

「令和」は、日本に現存する最古の歌集「万葉集」に由来する。

菅義偉官房長官が新元号を発表した後、海外メディアも日本の元号が「Reiwa」になると伝えた。

■ 海外メディアはReiwaをどう訳した? 各社異なる訳し方

安倍晋三首相は談話で、「令和」に込めた意味を「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」と述べた。


各メディアは、この元号の意味をどう訳したのだろうか?

BBCは、令和の「令」の字は「order(秩序)」や「command(命令)」、「和」の字は「peace(平和)」や「harmony(ハーモニー)」を意味する、と書いている。

一方、同じイギリスのメディアであるガーディアンは、新元号は「fortunate(幸運)」「auspicious(幸先の良い)」と「peace(平和)」「harmony(ハーモニー)」を意味する、と報じている。

アメリカの経済メディア、ウォール・ストリート・ジャーナルも、「令」は「auspicious(幸先の良い)」を意味し、「和」を「peace(平和)」と訳した。

さらにオーストラリアのABCニュースは、元号が令和に決まったが、それが何を意味するかはまだ明らかではないと、説明を控えている。

■ 各メディアが報じた、元号と日本

ガーディアンは「日本は世界で唯一、元号を使っている国だ」と紹介する。

馴染みがない元号を巡る日本の動きを、各メディアはどう報じたのだろうか。

BBCは、貨幣や新聞、運転免許などの公的書類に使われるなど、元号が日常生活で広く使われている状況を伝える。

その一方で、グローバル化の影響が進み、元号を使いたがらない人も増えていると説明。元号を日常的に使う人の割合は1975年には82%だったが、現在では3分の1に落ち込んでいるという、毎日新聞の調査を紹介している。

ガーディアンは、約30年間続いた平成が終わることが決まってから、クイズ番組で平成の知識を競い合ったり、新元号の記念品が作られるなど、日本中が平成と令和で一喜一憂する様子を伝える。


新元号を報じた号外を求めて、集まる人々
AP通信は、日本の歴史に詳しいスタンフォード大学のダニエル・スナイダー氏の言葉を紹介した。

「日本の生活は、伝統と近代の組み合わせであふれています」

「そのことを嫌がる人もいます。しかし、この伝統にこだわる姿勢が、日本の社会を他の国とは異なるものにしています」
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退位した天皇が仏教に帰依し出家した理由


 5月1日、令和への改元と同時に今上天皇は退位し上皇(太上天皇)となる。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳氏は「歴史上の上皇は仏教に帰依し、出家するケースが多かった。天皇家(あるいは元号)と仏教とは切っても切れない関係性にあり、江戸時代までその慣習は続いた。むしろ、政府が神仏分離政策を推し進めた明治以降、現在までの天皇家のありようのほうが“特殊な状態”と言える」という――。
■5月1日、令和への改元で今上天皇は「上皇」となる
新元号「令和」が発表された。

テレビ・新聞での識者のコメントや、ネット評価はおおむね、良好のようである。「Yahoo! ニュース(みんなの意見)」では元号発表後、丸1日が経過した4月2日午前11時半の段階で「いいと思う」と回答した割合が64%。逆に「あまりいいと思わない」が28%。「わからない/どちらとも言えない」が8%であった(投票総数約21万2000票)。

実は私は、「平成」が発表された翌日の朝日新聞(1989年1月8日朝刊)を取り置いている。当時、中学生だった私は、重大ニュースの新聞を収集する癖があった。

社会面を開けると、「新元号こう思う」という見出しがある。そこでは各界の著名人が、「平成」について感想を述べている。ざっと読んでいくと、批判的な意見の識者が多いようであった。興味深いので少し紹介しよう。

■「令和」のネット評価は良好だが「平成」は散々だった
「平成の典拠のうち、私なら、『内平らかに外成る』の史記より、『地平らかに天成る』の書経の方を取りたい。軍縮を実現して、まず地球に平和を」(作家・小松左京氏)

「音の響きとしては、雄大さや鋭さに欠ける。鼻が低い、という感じだね。平和の願いも込めたいが、昭和に『和』が使われており、仕方なく『平』の字から文献を探しんじゃないかな」(国語学会評議員・大野晋氏)

「明治、大正、昭和に比べてえらい古風な感じですな。ことさら世の中を平らにせないかんという意識が過剰では」(落語家・露の五郎氏)

「ぼく自身はほとんど西暦しか使っていないので、どうでもいいという感じです。元号にあまりとらわれていると、徳川家康がシェイクスピアと同じ年に死んだなんて感覚が、いつまでも身につかないんじゃないですか」(編集者・天野祐吉氏)

「最初はぴんとこなかったのですが、字をよくみると、今の世の中のデコボコをなくするような気もしていいんじゃないですか。仕事に直接影響はないと思います」(演歌歌手・坂本冬美氏)

「ゆっくり発音しないと『へえせえ』と言ってしまうのが少し気がかりだが、大した問題ではないでしょう」(日本かな書道会顧問・宮本顕一氏)

各人、なかなか自由な発言で、いい感じにひねくれている。コメントを採用する側の新聞社も今以上に踏み込んだ紙面づくりをしていたようだ。

さておき、本題に入ろう。

今回は、仏教と元号、仏教と天皇との関係性について述べたい。

■興味深い「仏教と元号」「仏教と天皇」との密接な関係
実は、お寺(日本仏教)にとって、元号は欠かせない存在だ。なぜなら、お墓、戒名を記す位牌、過去帳など「死者の記録」は元号で記されるのが通例であるからだ。

「お墓に彫る享年は、西暦のほうがわかりやすいでしょ」という人がいるかもしれない。合理的な考え方でいえば、回忌法要の年の計算がしやすい西暦表記のほうが、お寺にとってはいいに決まっている。しかし、西暦はイエス・キリストが誕生したとされる年を元年とする。なので、仏教に関係する墓や戒名に、西暦を採用するのはちょっと変であろう。

元号と仏教が密接だった証拠に、名刹(めいさつ)の名称に注目したい。元号が寺号に転用されたケースは少なくない。延暦寺(えんりゃくじ)は延暦7年(788年)に開山した寺院だ。同様に仁和4年(888年)には仁和寺が開かれた。元号を寺の名称に使った例は他にも建仁寺(けんにんじ)、永観堂など、かなりある。

さすがに、「明治寺」「大正寺」「昭和寺」「平成寺」などはないだろうと思っていたが、ネットで検索しその所在地などを確かめると、それぞれ本当に存在することがわかった。きっと「令和寺」もそのうちできるのだろう。

■「明治」はくじ引きで決められた
元号制定過程に目を転じれば、「明治」のケースが興味深い。出典は古代中国の易経(占いの体系書)である。「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」(聖人が南に向いて政治を聞けば、天下は明るい方向に向かって治る)から、引用された。

明治が占いに基づく元号であることもさることながら、複数の元号候補の中から、くじ引きで決めたというエピソードが伝わる。明治神宮のホームページにその詳細が書かれているので紹介しよう。

「明治改元にあたっては、学者の松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号の候補の中から、明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました」

当時は、それまで混じりあっていた神道と仏教とを切り離す「神仏分離政策」の渦中であった。明治の元号制定では、維新政府が王政復古、祭政一致を国民に強く印象づけるために、あえて「神託」という呪術的な形態をとったとの見方ができるだろう。

■歴代天皇125人で上皇になったのは60人、出家するケースも多い
天皇家と仏教の関連性についても述べたい。

5月、令和への改元と同時に、今上天皇は退位し、上皇(太上天皇)となる。上皇の誕生は江戸時代の光格上皇以来、およそ200年ぶりである。

上皇の最初は、女帝の第35代皇極天皇が譲位した時と言われている。正式に上皇という称号が使われたのは、第41代持統天皇の時だ。歴代天皇125人のうち上皇になったのは60人と半数近くに及ぶ(神話上の天皇を除けば、過半数が上皇になっている)。

かつての上皇は、仏教に帰依し、出家するケースがしばしばであった。出家した上皇は法皇と呼ばれた。長年、皇室と仏教は密接な関係で結ばれており、江戸時代までその慣習は続く。歴代法皇の数は35人。現在では、上皇が法皇になるなどは、あり得ないことであろう。だが、歴史を紐解けば、それもさほど不思議ではないことがわかる。

7世紀ごろまで、天皇は「スメラミコト(統べる偉大な人)」と呼ばれ、崇められた宗教的統治者であった。外来宗教である仏教を取り入れ、自ら帰依した最初が、第33代推古天皇時代だ。その後、天皇自らが僧侶になるという不思議な宗教混淆形態をたどる。

天皇が実際に出家(受戒)した最初は、第45代聖武天皇と言われる。聖武天皇は全国に、国分寺・国分尼寺を造ったり、東大寺の大仏建立を推し進めたりした天皇として教科書にも載っている。

法皇の名で呼ばれた最初は第59代宇多天皇。宇多天皇は、東寺での受戒の儀式を経て、仁和寺に入って住職となった。以来、仁和寺は皇族が住職を務める格式の高い門跡寺院として繁栄していく。仁和寺は「御室御所」とも呼ばれるようになった。

門跡寺院の他には、平安時代に嵯峨天皇の離宮として建立され、「嵯峨御所」と呼ばれた大覚寺(京都市右京区)や、鳥羽法皇ゆかりの青蓮院(同東山区)、後白河法皇が門主を務めた妙法院(同東山区)など全国に30カ寺ほどある。

■明治以前は天皇家と仏教には強い関連性があった
さらに、京都には「天皇家の菩提寺」がある。泉涌寺(同東山区)である。泉涌寺には、江戸時代までの天皇の墓がある。

泉涌寺と皇室との関係は13世紀にさかのぼる。四条天皇が12歳で崩御した際、泉涌寺で葬儀が実施された。南北朝時代以降は9代続けて天皇の火葬所となる。すると泉涌寺は「皇室の御寺」との位置付けとなり、江戸時代の後水尾天皇から孝明天皇、そしてその皇后はすべて泉涌寺の月輪陵(もしくは後月輪陵)と呼ばれる区画に埋葬されるようになっていく。その数は、25陵と5灰塚、9墓(親王らの墓)に及んだ。

泉涌寺の陵墓は、古代の大王(おおきみ)や明治天皇以降の巨大陵墓と比べて、かなり質素で小規模なもの。意匠は仏式の九重の石塔だ。泉涌寺では、歴代天皇の位牌を安置し、朝夕、同寺の僧侶によって、読経がなされている。各天皇の祥月命日には皇室の代理として、宮内庁京都事務所からの参拝が行われるという。

以上、長い歴史を俯瞰すれば天皇家(あるいは元号)と仏教とは切っても切れない関係性にあった。むしろ、明治以降現在までの天皇家のありようのほうが「特殊な状態」と言えるだろう。
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新元号「令和」 欧米メディアは「日本の右傾化」を懸念


新元号が「令和」に決まったことが発表された。
 しかし、新元号の決め方やその意味について、欧米のメディアの中には「日本の右傾化」と結びつけている記事も散見されたので、抜粋してみた。

英・デイリーテレグラフ
 明仁天皇の退位は、平和を成就するという意味を持つ30年間の平成という時代、つまり、バブル経済の崩壊や3.11の地震や津波、原子力危機が起きた時代に終止符を打つだろう。
 日本の新時代の元号を決めるのに、伝統を打ち破って、中国の書ではなく日本の書を使うという判断は、安倍保守政権の国粋主義的傾向と結びついているように見える。
 安倍政権では、中国との間に緊張が生まれ、領土争いをめぐる紛争がほとんど絶え間なくおきてきた。また、安倍首相は2020年までには日本の平和憲法を修正するという決意表明を頻繁にしてきた。

Japan chooses new imperial era of 'Reiwa' from Japanese rather than Chinese source for first time

(日本、新天皇時代の令和を、初めて、中国の書からではなく日本の書から選ぶ)

英・インディペンデント
 安倍晋三タカ派政権は、新時代の名前を付ける義務があるが、中国の書に由来する名前は避けるのではないかと推測されていた。

Reiwa': Japan unveils name of new era as Emperor Naruhito ascends to the throne

(日本、徳仁天皇の即位のため、新時代の名前を発表)

英・デイリーメール
 新元号の語源は、国家の威信の増強を狙う安倍首相の保守的アジェンダを映し出している。彼は、停滞している経済を復活させると公約して人気の波に乗ったが、団体の調和や日本の歴史や文化の誇りといった伝統的価値観の回復という保守的アジェンダも前から支持してきた。
 また、同紙は、上智大学の中野晃一教授の「安倍首相は、新元号で、日本はルーツや伝統を誇りにしてほしいと呼びかけている。彼は日本に誇りを持ってほしいんです。そして、新元号はそんな訴えをするいい機会だと考えたんでしょう」というコメントも紹介している。

Japan unveils the name of its new imperial era: Reiwa, meaning 'beautiful peace and harmony'

(日本、新天皇時代の名前を発表 令和は美しい平和と調和を意味)

米・CNN
 テンプル大学アジア研究ディレクターのジェフ・キングストン氏のコメントを紹介。同氏は、CNNに、
「“多くの学者が、令和の意味や安倍首相の説明にすっきりしないものを感じている”と話している。新しい元号は、日本の政治の右傾化を映し出している。和という字は、徳仁皇太子の祖父、裕仁天皇時代の昭和の和と同じだが、その文字を選択したのは、安倍首相が、日本の戦争という過去について、ポジティブな論調を推し進めようとしているからだろう。これまで使われて来た中国の書ではなく、元号のインスピレーションを得るのに日本の書を選択したことは、明らかに、安倍首相の保守的政治基盤へのアピールだ」
と話している。キングストン氏は、安倍首相の歴史修正主義を懸念しているかのようだ。

Reiwa': Japan announces dawn of a new era

(令和:日本が新時代の夜明けを発表)

 安倍晋三首相は記者会見で、令和について、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ意味が込められている」と説明したが、耳に心地よい美しい解釈の裏には、別の意味も込められているのだろうか?

 海外メディアは、令和が意味するところについて様々な解釈をしているが、筆者の元には、あるジャーナリストから、新元号について、「命令されることで和む日本人にふさわしい元号だ」という皮肉なメッセージも届いた。上からの命令には“イエス”と言って和を図ることで安心を得ようとする日本人だとでも言いたいのだろう。

 個人的には、令和という名前については「変わらない日本」を見た気がした。令を「秩序」、和を「調和」と解釈するなら、秩序も調和も、日本が昔から変わらずに重視し、世界からも評価されてきた日本人が誇るべき価値観だ。そこに、新しさや次世代感はあまり感じられない。
 あるいは、日本が誇りにしてきた価値観を、世界から秩序や調和が失われている今こそ、世界に広げていこうという願いが込められているのだろうか?
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新元号、政府提示6案に英弘・広至など 典拠に古事記も

 新元号「令和(れいわ)」を決めるにあたり、政府は1日、六つの原案を選び、有識者による「元号に関する懇談会」などに提示した。政府は原案の数も含めて公表していないが、「令和」のほか、「英弘(えいこう)」「広至(こうじ)」「万和(ばんな)」「万保(ばんほ)」などがあったことがわかった。複数の政府関係者が1日夜、朝日新聞の取材に明らかにした。

6案の典拠は国書と漢籍が三つずつで、国書は「令和」の万葉集に加え、日本書紀、古事記だった。

 「万和」は、6世紀に中国で成立した全30巻の詩文集「文選(もんぜん)」が典拠。漢詩研究の第一人者として知られる石川忠久・元二松学舎大学長(86)が政府に提出した13案の一つだったことも判明した。

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新元号は令和(れいわ) 出典は万葉集 6案から絞る 


政府は1日午前の臨時閣議で「平成」に代わる新しい元号を「令和」に決めた。「れいわ」と読む。菅義偉官房長官が記者会見で墨書を掲げて公表した。出典は日本の古典「万葉集」とした。中国古典(漢籍)ではなく日本の古典から採ったのは確認できる限り初めて。天皇陛下の退位に伴い5月1日午前0時から新元号「令和」に切り替わる。平成は1989年1月8日からの30年4カ月で幕を閉じる。「令」が元号に使われるのは初めて。

関係者によると、政府は元号に関する懇談会などで「令和」を含む計6案を提示した。中国古典を出典とする案もあったという。

令和は万葉集巻五、梅花の歌三十二首の序文、「初春の令月にして気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭(らん)は珮(はい)後の香を薫らす」から引用した。

「令和」のローマ字表記は「REIWA」で、外務省はこの表記で195カ国や国際機関に通知した。

新元号公表後、安倍晋三首相は記者会見で談話を発表し、令和について「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められている」と説明した。出典とした万葉集に関しては「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書だ」と述べた。



政府は1日午前9時30分から首相官邸で有識者による「元号に関する懇談会」を開いた。山中伸弥京大教授や榊原定征前経団連会長、作家の林真理子氏ら9人が出席した。同10時20分ごろから衆院議長公邸で衆参両院の正副議長らから意見を聴取した。首相官邸で開く全閣僚会議を経て、臨時閣議で新元号を定めた政令を決定した。

新元号に関する政令は天皇陛下が署名し、公布した。同日付の官報号外に政令とともに新元号の読み方を定めた内閣告示を掲載する。

これまで天皇の即位前に新元号を公表したことはない。憲政史上初の天皇退位に伴う対応だ。政府は3月14日に複数の学者らに新元号の考案を正式に委嘱し、それぞれ2~5つの案の提出を求めていた。

政府は今回、漢文学や東洋史学だけでなく、国文学や日本史学を専門とする学者にも考案を委嘱したことを明らかにしている。関係者によると、平成への改元時に委嘱した考案者にも国文学者が含まれていたが、日本古典を出典とする案は「平成」を含む3つの最終案には残らなかった。

元号は1979年施行の元号法に基づき、内閣の責任で定める。新元号は日本最初の元号「大化」から数えて248番目にあたる。「平成」までに使われた漢字は72種類で最多は29回の「永」。2番目に多いのは「天」と「元」の27回。

天皇陛下は4月30日に退位し、翌5月1日に皇太子さまが新天皇に即位される。憲政史上初の「退位礼正殿の儀」は4月30日午後5時からで、三権の長や地方自治体の代表ら338人が参列する。

新天皇に即位する皇太子さまは5月1日午前10時半から歴代天皇に伝わる神器などを引き継ぐ「剣璽等承継の儀」、同午前11時10分から即位後初めて国民代表の前でお言葉を述べる「即位後朝見の儀」に臨まれる。

剣璽等承継の儀の出席者は前例を踏襲し、皇族は成年男性に限り女性皇族や秋篠宮家の長男悠仁さまは参加されない。

天皇陛下は2016年8月8日、国民向けのビデオメッセージで象徴天皇としての務めに関する考え方についてお言葉を述べ、退位の意向を示唆した。政府はこれを踏まえ、天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議を設置。現天皇一代限りで退位を認める特例法を成立させた。

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「令和」考案者は中西進氏か 万葉集の専門家


 新元号「令和」の考案者は、文化勲章受章者で国際日本文化研究センター名誉教授の中西進氏(89)との見方が1日、専門家の間で浮上した。中西氏は共同通信の取材に、当初は明言を避けていたが、公表が近づいた3月上旬になって「私は関係していない」と否定している。

 中西氏は東大大学院修了。万葉集が専門で大阪女子大学長や京都市立芸大学長などを歴任した。2013年に文化勲章を受章。著書に「万葉集の比較文学的研究」「日本文学と漢詩」などがあり、日本古典と中国古典双方に詳しいとして研究者の間で評価が高い。
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「令和」の元ネタは中国の古典なのに…

 新元号「令和」が決まり、出典は国書(日本で書かれた書物)の万葉集だと発表されました。「あれ?」と首をひねった人も多かったでしょう。和書と言いながら、出典とされる部分が大和言葉(やまとことば)ではなく漢文だったからです。狐につままれた気分でいると、午前11時41分の発表からわずか3時間余り後の午後2時55分に、「Twitter」で岩波文庫編集部のツイートが種明かしをしてくれました。

岩波文庫編集部 ‏ @iwabun1927

新元号「令和」の出典、万葉集「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、新日本古典文学大系『萬葉集(一)』 https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html の補注に指摘されています。

「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」

なんのことはない、「初めて和書を出典とした」と言いながら、実は中国の代表的古典「文選」からの孫引きだったわけで、政府の説明は看板に偽りありです。「出典は文選だが、万葉集にも類似の文章がある」というのが実態で、万葉集を引き合いに出すにしても「文選と万葉集の二つが出典」と言い張るのがせいぜいでしょう。

 私の前回のブログ『新元号 和書出典なら伝統の破壊になる』(3月31日)から、関連する部分を再掲します。

「朝日新聞は『新元号、初めて日本の古典由来に? 漢籍とのダブル説も』(3月19日)という興味深い記事を出しています。この記事には『日本と中国両方の古典にルーツを持つ元号となる可能性も取りざたされている』と書かれています。元号にふさわしい良い意味を持つ言葉は、和書に掲載されていたとしても元々は漢籍から借用してきたケースが多いので、和書から持ってきても漢籍からの孫引きとなってしまうというわけです。」
まさに、この通りになったわけで、朝日新聞の予想が的中したというか、取材が的を射ていたといえそうです。

和歌集である万葉集は、歌の部分は大和言葉(やまとことば)で書かれていますが、令和の出典とされる序文は「どういう状況でこの歌が詠まれたか」を説明する解説で、まったくの漢文です。そして、日本で書かれた漢文が漢籍から表現を借用するのはごく一般的なことです。今風に言えば「パクリではなくリスペクト」で、読み手も「これは張衡の帰田賦だね」なんてニヤリとするわけです。

首をひねらざるを得ないのは、政府が文選の孫引きであることを伏せて「出典は万葉集」だと言い張る理由です。政府は元号案の作成を、国文学、漢文学、日本史学、東洋史学の4分野の複数の専門家に委嘱したとしています。これらの学者らが「原典は文選である」と気付かないことは100%あり得ません。

『文選』は中国の南北朝時代に編纂された詩集ですが、これはもう定番中の定番です。日本で言えば『古今和歌集』くらいメジャーで、高校の教科書に載っているレベルです。元号の出典としても、サンスポの記事『元号のトリビア(4)引用回数』(3月28日)によれば、書経(35回)、易経(27回)に次ぐベスト3(25回)に入っているそうです。有名どころでは、明治の前の元号「慶応」の出典も文選です。

元号案の作成にあたっては綿密な調査をするはずですが、今回は国文学者であれ漢文学者であれ、「ちょっと調べれば分かる」「調べなくても知っている」程度のことではないでしょうか。学者サイドは間違いなく、「文選にこのような表現があり、これを受けて万葉集にもこう書かれています」とか、あるいは「万葉集のこの文章は、文選から引用したものです」等と報告したはずです。

出典が万葉集だと言い張っている理由は良く分かりません。「史上初めて和書から引用した」というレガシーをつくりたかったのか、それとも朝日新聞に見抜かれたのが気に入らないのか…。しかし、素直に考えれば「令和」の出典は、明らかに文選です。

安倍首相は令和について、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められています」と語っていますが、少々こじつけっぽく思えます。この序文は「大伴旅人の邸宅で宴会を開いたが、季候が良くて風も爽やか、梅はきれいで蘭も香っている。景色も良くて風情もある。酒を飲んで気持ちが通じて、良い宴会だなあ。よし、この気分を表現するために、みんなで歌を詠もうぜ」という程度の文章ですから…。

どうも、安倍首相は今回の元号選定を、個人的なアピールの場と履き違えている気がしてなりません。元号は天皇陛下が定める国民共有の財産で、首相個人や特定内閣の私物ではないのですから、この一連の流れは、いささか見苦しいものでした。
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