日本のコロナ死亡者数はなぜ少ない? BCGに続く「ファクターX」もう一つの有力候補

  世界を恐怖に陥れた新型コロナウイルスだが、その被害の大きさは国や地域によって差がある。



 感染者数が400万人を超えてなお拡大を続けるアメリカや、170万人を超える感染者を出しながらも「経済優先」を宣言した末に大統領自身が感染してしまったブラジルのように、深刻な被害を受けている国がある(ブラジルの7月25日時点での感染者数は228万7000人)。

 しかしその一方で、日本や韓国、タイ、台湾、ベトナムのように、今のところ比較的軽微な影響で推移できている国や地域もあるのも事実だ。

 京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長は「文藝春秋」6月号で、日本人に感染者数や死亡者数が少ない背景には、まだ解明できていない要因「ファクターX」があるはずだ、と述べて話題になった。

 この意見に賛同する東北大学大学院医学系研究科の大隅典子教授は、同僚で厚労省クラスター対策班の押谷仁教授の話や世界中で日々発表される論文や報告、さらには信憑性のあるブログなど、あらゆる最新の情報を元に、「ファクターX」は何なのか――を検証した。

「国によってこれほど違うのは、公衆衛生的な努力だけではなく別の要因があるはず」

 と考える大隅教授が、まず興味を持ったのが「BCG」だった。

BCG推奨国では死亡者数が少ない
 結核予防のために接種するこのワクチンは、日本では1951年に施行された結核予防法により、いまでは生後1歳未満での接種が推奨されている。

 大隅教授が最初にこの説を目にしたのは、あるブログだった。そのブログ開設者・JSato氏は「BCGの接種が行われている国では感染の広がりが遅い」と指摘する。

 これを見た時点では半信半疑だった大隅教授だが、独自に調べてみると、新型コロナウイルス感染症による死亡例が多いスペイン、イタリア、フランス、アメリカは確かにBCG接種に積極的ではなく、逆に死亡者数の少ない中国、韓国、日本はBCG推奨国だという事実に行きあたった。

 しかも、たとえば同じヨーロッパで隣接する国同士でも、BCGへの対応の違いで死亡者数に大きな差が出ていることも見えてきたのだ。BCG接種プログラムを持たないドイツでは人口100万人当たり107人の死亡者が出ているのに対して、東隣のポーランドの死者数では同じ条件で37人と圧倒的に少なかった(人数は6月25日時点、以下同)。


「BCGワクチンで免疫が強化される」という報告
 同様のことはスペインとポルトガルの間でも見られる。100万人あたりの死亡者数は、BCG接種プログラムを持たないスペインの606人に対して、国境を接する隣国ポルトガルは151人と顕著な差が見られたのだ。

 BCGと新型コロナウイルス感染症とのあいだに相関関係が見られることは分かった。しかし、なぜ結核菌という「細菌」を対象としたワクチンが、新型コロナという「ウイルス」に効果を示すのか。

 さらに調査を続けた大隅教授は、オランダの研究チームが見つけたある事象に辿り着く。BCGワクチンを受けた人の血液を調べたところ、免疫細胞にある「増強」を指示するスイッチがONになったままだった、という報告だ。子どもの頃にBCG接種で強化された免疫が、その後も高い状態で維持する仕組みが働いている可能性を示唆するもので、発見したオランダの研究チームはこの仕組みを「訓練免疫」と名付けている。これが正しければ、日本をはじめとするBCG推奨国での新型コロナによる重症化率が低いことの説明が付く、と大隅教授は指摘するのだ。

もう一つの有力候補「ワルファリン感受性」
 もう一つ、大隅教授が興味を持つファクターXの有力候補に、「ワルファリン感受性」がある。ワルファリンとは血液を固まりにくくする作用を持つ薬で、世界的に使用されている。

 しかしこのワルファリン、国や地域によって効果の出方に差があることが以前から指摘されてきた。大雑把に言えば、アジア系の人には効きやすく、アフリカ系の人は効きにくい。同じアジアでも日本を含む東アジア系は最も効きやすく、南・中央アジアの人には効きにくい。ヨーロッパの人の効き方は、東アジアとアフリカの中間くらい――とされている。

 この傾向が、新型コロナの重症化率の傾向と重なるのだ。

 ワルファリンの効き方は、遺伝子によって左右される。つまり、ワルファリンが効く遺伝子と効きにくい遺伝子があり、これが新型コロナの重症化に何らかの関与をしている可能性が浮上してくるのだ。

 大隅教授は「大胆な推測」としてこう述べる。

「ワルファリンが効きやすい遺伝子のタイプの人は、ワルファリン服用の有無にかかわらず、血栓ができにくい体質を持っており、このことが新型コロナウイルス感染症の重症化を防ぐことに繋がっているのかもしれない」

「ファクターX探し」は世界中の研究者が取り組んでいるが、現状では「相関関係」であって「因果関係」までは到達していない。最近では「結局のところ、最大のファクターXはマスク着用率の差なのでは?」という意見も増えてきた。しかし、大隅教授は「生物学的要因」の追及をあきらめない。生物学的なファクターXが明らかになれば、予防法や治療法の開発に役立つことは明らかだからだ。

ファクターXの存在が免罪符にはならない
 しかし大隅教授はこうも言う。

「BCGやワルファリン感受性がファクターXだったとしても、それは免罪符にはならない」

 国や地域、人種などという大きな括りでの特徴はあるにせよ、感染するか、重症化するかは人それぞれ。最終的には、一人ひとりが感染しないように注意することに勝る取り組みはないのだ。

 公衆衛生の学者は「木を見ずに森を見る」ことが仕事だが、森を構成する木、つまり、社会を構成する人間は、たとえ周囲の人たちは元気でも、自分が感染してしまったのでは意味がない。その意識を確かに持った上での知的好奇心として、ファクターX探しに注目すべきだろう。

 なお、「文藝春秋」8月号および「文藝春秋digital」掲載の「 ファクターXを追え! 日本のコロナ死亡率はなぜ低い 」では、BCGワクチンの“株”による効果の違いや、かつて東北大学が行った介護施設におけるBCG接種と肺炎発症率の関係など、大隅教授が論拠とする調査や研究の詳細も紹介されている。

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