五輪 「水泳ニッポン」自国開催で大惨敗…瀬戸不振、日本水連の甘さ、平井HCの処遇に影響も / バスケットボール

五輪 「水泳ニッポン」自国開催で大惨敗…瀬戸不振、日本水連の甘さ、平井HCの処遇に影響も



 日本勢のメダルラッシュに沸く中、惨敗と言っていい。30日時点の獲得メダル数が金2個、銀1個の計3個にとどまる競泳である。

【競泳】大橋悠依は金メダル、瀬戸大也は予選落ち…男女エースの明暗を分けた指導者の差

 2012年ロンドンは金こそ取れなかったものの、戦後最多の11個のメダルを手にした。16年リオも金2個を含む計7個。翌17年、日本水連は24年までの中期計画の中で、「東京五輪では複数の金を含む10個以上のメダル獲得」を掲げた。

■地の利生かせず

 これは決して大風呂敷ではなかったはずだ。コロナ禍に見舞われ、練習や試合の制約があったにせよ、自国開催という「地の利」はあった。海外勢が悩まされる時差ボケはないし、衣食住が揃うNTC(ナショナルトレーニングセンター)は大会期間中も使いたい放題。試合会場の東京アクアティクスセンターでの試合、練習も行った。

 女子400メートル個人メドレーと200メートル個人メドレーで2冠を達成した大橋悠依(25)は、苦手だった平泳ぎを克服するなど、1年の延期期間を有効に使った。男子200メートルバタフライで銀メダルを手にした本多灯(19)も、延期決定後の昨秋に行われた国際リーグ(ハンガリー)で躍進のきっかけを掴んだ。

 その一方で、多くのメダル候補が精彩を欠いた。中でも、16年リオ銅メダリストで日本のエースである瀬戸大也(27)は、3種目に出場しながらメダルなしに終わった。

 本命種目の男子400メートル個人メドレーは全体9位で予選敗退。決勝進出タイムが16年リオから3秒以上も速くなり、瀬戸は「(ペース配分を)見誤まった」と言っていたが、続く200メートルバタフライも準決勝止まり。30日の200メートル個人メドレーは4位に食い込むのが精いっぱいだった。

 瀬戸は昨年、自身の不倫騒動により、ANAのスポンサー契約を解除された上に、日本水連から「年内の活動停止」などの処分を受けた。スポーツライターの小林信也氏は、「残念な結果に終わりました。最後の200メートル個人メドレーは瀬戸本来の力が垣間見えましたが、400メートル個人メドレーの泳ぎは終盤は明らかに失速していたように見えた」と、こう指摘する。

「瀬戸は開会式翌日に予選、その翌日午前に決勝が行われる400メートル個人メドレーで、日本に最初の金メダルをもたらし、競泳に勢いをもたらす期待が寄せられていた。しかし不倫騒動により思うような活動ができなくなり、経済支援もストップ。体力面を含めて調整がうまくいかなかったのでしょう。さらに大会中は、彼を応援したいという雰囲気にはならず、心技体が伴わなかった。大会が1年延期となり、海外勢がレベルアップ、世界ランキング1位ということで徹底研究されたことも影響した可能性もあります」

■水連の処遇の甘さ

 その一方で、瀬戸の処遇を巡っては、日本水連の「甘さ」も透けて見える。不倫騒動時には、「五輪内定取り消し」が検討されるとの話も浮上したほどだったが、前出の小林氏は昨年、この処遇を受けて、「瀬戸大也選手は『処分という名の救済措置』で本当に改心できるのか」(ダイヤモンド・オンライン)と題する記事で、こう指摘していた。

「結局のところ日本水泳連盟はなんとか世間の逆風を時間の流れの中で鎮め、瀬戸には本番で金メダルを取ってもらいたいという、喉から手が出るような気持ちが見え透いて不安を覚える。そのような甘さが果たして、今回の出来事を不幸中の幸いとし、スポーツ選手の本質的なインテグリティー(高潔性)の改善につながるだろうか」

 その小林氏が言う。

「水連は、スポンサーからの協賛金などを大事な事業資金としている。ビジネス、お金とつながっているスポーツの難しさとともに、組織としての判断の鈍さを感じました。経営のことを真っ先に考えざるを得ないところに、ひずみがある。今回の東京五輪は、コロナによるマイナス影響もあり、スポンサーとスポーツの関わりが大きく変わる契機になるとみています」


平井ヘッドコーチの処遇

大橋(左)を金メダリストにした手腕は立派だが…(平井伯昌ヘッドコーチ=右)/(C)ロイター

 今後の指導体制にも影響が及ぶかもしれない。選手の中には「自国開催ゆえに、選手村入りを強制せず、各選手がバラバラに調整、宿泊したことで選手団のまとまりに欠けた」との声もある。

 競泳関係者が話す。

「今大会で任期が切れる平井伯昌ヘッドコーチの処遇がどうなるのか。愛弟子である大橋が2冠を達成した一方で、『北島康介2世』として気にかけていた佐藤翔馬(20)が200メートル平泳ぎで敗れた。『平井色』に染まっていない瀬戸や松元克央もメダルを取ることができませんでしたが……」

 平井コーチは五輪直前の6月、水連の役員改選に伴い、兼務していた競泳委員長を退任。瀬戸の恩師である梅原孝之氏が後任に就いた。五輪後を見据えたものだが、唐突感は否めなかった。

「平井コーチは15年、信頼関係を築く日大水泳部監督の上野広治副会長の競泳委員長退任を巡り、反発。この人事を主導したのが鈴木大地会長でした。平井さんが五輪直前に競泳委員長を退いたことで、今も2人の関係を訝る声がある。五輪後、平井ヘッドコーチの去就問題に発展する可能性はあります」(前出の関係者)

 8月1日には男女の400メートルメドレーリレー決勝が行われる。最後の種目でメダルを取り、巻き返すことができるか。 

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8月1日(日)『東京オリンピック』バスケットボール試合スケジュール、悲願の1勝へ男子日本がアルゼンチンとの最終戦に挑む


13:40(男子グループC) アルゼンチンvs日本(NHK BS1)17:20(男子グループC) スペインvsスロベニア

女子予選ラウンド 10:00(女子グループA)カナダvsスペイン21:00(女子グループA)韓国vsセルビア
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背が低くても金 バスケ男子・日本のお手本アルゼンチン

 バスケットボール男子がオリンピック(五輪)で正式種目になったのは1936年ベルリン大会だ。

【写真】2004年アテネ五輪バスケット男子決勝で、イタリアを破り、金メダルに喜ぶアルゼンチン

 それ以降、バスケット発祥の国アメリカ(米国)代表が最多15回、五輪を制しているが、過去4度、金メダルを逃したことがある。

 直近で逃したのが、2004年アテネ大会。その準決勝で米国を破り、頂点に立ったのが、日本が8月1日の第3戦で対戦するアルゼンチンだ。

 北欧と比べて、決して体格的に恵まれているわけではない。アルゼンチンの18歳男子の平均身長は172・6センチ。実は、日本男子と1・6センチしか変わらない。身長がものをいうバスケット。アルゼンチンは実に、1952年ヘルシンキ大会に出場後は96年アトランタ大会に出るまで44年間、五輪出場からも遠ざかっていた。

 そんなチームが五輪で金メダルを取るまでに成長したのは、長期的な視野に立って育成し、培ってきた組織力だ。アテネ五輪の主力メンバーはユース時代から共にプレーし、あうんの呼吸があった。流れるようなパスと高確率のシュートをもって、アレン・アイバーソン(当時76ers)や19歳のレブロン・ジェームズ(当時キャバリアーズ)など米国代表のNBA選手たちを翻弄(ほんろう)した。

 この時コートに立っていたルイス・スコラは2007年に渡米。10年間でロケッツなどNBAの5クラブを渡り歩き、41歳のいまでも現役を続け、東京五輪の代表にも選ばれた。

 現在、世界ランキングは4位。世界選手権(ワールドカップ=W杯)は1950年に優勝、2002年と直近の19年に準優勝している。

 身長の低いアルゼンチンの象徴的な選手が、司令塔のファクンド・カンパッソだ。

 178センチと小柄ながら、視野の広いパスセンスとスピーディーなゲームコントロールを武器に、名門レアル・マドリードで2度のユーロリーグ制覇を経験している。19年W杯の直前に強化試合で日本と対戦したとき、その激しい守備も印象に残した。

 20年には29歳にしてNBAナゲッツと契約。13年のドラフトで指名を得られなかった悔しさを晴らし、1年目は65試合に出場して1試合平均6・1得点、3・6アシストを記録した。

 日本代表の渡辺雄太(ラプターズ)と米ジョージワシントン大でチームメートだったパトリシオ・ガリーノも東京五輪代表に。学生時代に2人が交わした「お互いに日本とアルゼンチンの代表として五輪で会おう」という約束が果たされた。

 小さくても世界で戦える。それは日本にとってもお手本のスタイルだ。実際に、日本バスケットボール協会の東野智弥技術委員長はアルゼンチンの施策を参考にして、日本の強化を図っている。

 日本代表を率いるのは、アルゼンチン人のフリオ・ラマス監督だ。NBAでの実績こそないものの、スペインの強豪でも指揮し、アルゼンチン代表も率いた経歴を持つ。代表アシスタントコーチとして、08年北京五輪の銅メダルも経験している。

 東京五輪の組み合わせ抽選で日本とアルゼンチンの対戦が決まった際は、名将も思わず、「母国とだけは避けたかったのに」と苦笑していた。

 ゆかり深い両国は、8月1日に対戦する。
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