49年前、桐島容疑者(岡山?)「桐島、岡山市内に?」から49年 当時の新聞記事から伝わる緊迫の空気/ 桐島聡容疑者名乗る男 愛称「うっちー」「うーやん」親しまれ地域と交流 〝潜伏〟とは程遠い生活
桐島容疑者(岡山?)
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「桐島、岡山市内に?」から49年 当時の新聞記事から伝わる緊迫の空気



 1970年代に起きた連続企業爆破事件の一つに関与したとして指名手配されていた過激派「東アジア反日武装戦線」のメンバー桐島聡容疑者(70)。49年前、桐島容疑者が最後に家族に伝えた居場所が「岡山」だった。指名手配犯の潜伏先の可能性が出た岡山で何が起こっていたのか―。1975年の山陽新聞をめくってみた。

【画像】当時の状況が伝わる新聞記事はこちら

 「桐島、岡山市内に?」「実家に電話、逃走資金要求」 

 1975年5月31日付夕刊と6月1日付朝刊には、こんな見出しが躍っている。記事によると、桐島容疑者が5月31日の昼前に、広島県福山市の実家の父親に電話。「これから逃走するので金がいる」と資金の工面を依頼したことを伝えている。どこから電話をかけているのかたずねると、「岡山だ」とだけ答え、詳細を告げなかったとも書かれている。

 また、仲間について男女各1人の連れがいることもほのめかしていた。同じ日の夕方には女性の声で桐島容疑者の実家に電話があり「『聡さんは元気です。今岡山にいます』と一方的に電話を切った」とある。

 岡山県警は岡山東、西両署員らを動員、岡山市内に緊急配備して桐島ら三人の行方を追及している。配備直後の同日(=31日)午後零時九分ごろ、タクシー運転手から「桐島らしい三人連れを同市城下から桜橋まで乗せた」との情報があり、岡山東署員らが急行、三人に職質の結果、関係のないことがわかった。(山陽新聞1975年5月31日付夕刊1面)
                                                               
 岡山県内か広島県福山市周辺に潜伏している疑いが強いとみられる。このため両県警では国道2号線など主要道で検問を強化する一方、桐島らの立ち回り先などに捜査員を張り込ませるなどして厳重な捜査網を敷き行方を追っている。
 また、同日警察庁から岡山県警に入った連絡では(中略)ニップル爆弾(手投げ弾)を持って逃げている疑いもあるという。(山陽新聞1975年6月1日付朝刊社会面)
                                                                                           
 当時の紙面にはこのような文章と夜遅くまで旅館の聞き込みに回る捜査員の写真が添えられ、緊迫した空気が伝わってくる。

 6月2日付の朝刊には、一緒にいた謎の女について「関西弁、特に大阪なまりが強く落ち着いた口調で、年上の女性とみている」という情報が書かれているものの、「署員など約百人を動員、桐島の実家付近の検問を実施したが、新しい動きはなかった」と書かれ、その後も続報は載っていなかった。

 「桐島聡」を名乗る男性は、入院先の神奈川県鎌倉市の病院で29日、死亡した。果たして本当に岡山にいたのか。一緒にいた女は誰だったのか。全ては謎に包まれたままだ。
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桐島聡容疑者名乗る男 愛称「うっちー」「うーやん」親しまれ地域と交流 〝潜伏〟とは程遠い生活
桐島容疑者(岡山?)

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 連続企業爆破事件で重要指名手配されている桐島聡容疑者(70)とみられる「内田洋(ひろし)」と名乗る男は、29日に入院先の病院で死亡したが、「うっちー」「うーやん」の愛称で、約40年間住んだ神奈川県藤沢市の街に溶け込んでいた。音楽を愛し、夏には70~80人が集まるバーベキューに参加したことも。関係者の証言から浮かび上がるのは、逮捕を逃れる〝潜伏〟とは程遠い生活だった。

【写真】「桐島聡」とみられる男が住んでいた建物

■「幸せにできない」

「60~70年代のブルースやロックが好きで、店で生バンドの演奏があるときはよく踊っていた」

JR藤沢駅近くの飲食店の60代の男性オーナーは、客として月に1回程度やってきた「内田」についてこう話す。

店に来るようになったのは20年ほど前。銭湯に行く途中や帰りがけが多かった。来るのはいつも一人だったが「店のスタッフやお客さんからは、『うっちー』と呼ばれて親しまれていた」。生バンドの演奏では「リズムに合わせて踊り、『イェイイェイ』とあおって演奏者や客を盛り上げていた」と明かす。

米ロックバンド「サンタナ」のライブ映像を収めたビデオテープをもらったこともある男性は「音楽には相当詳しくて、店に置いてあるギターを手に取って鳴らすこともあった」と話す。

男は建築関係の仕事をしていること以外、経歴は語らなかったが、15年ほど前、親密な女性がいて「自分は幸せにできるタイプじゃないから」と、交際を断ったことをスタッフに明かしていたという。

■海岸のバーベキューに

同じく20年ほど前から「内田」が店に来ていたと話すのは、駅近くにあるバーを経営する60代男性。多い時は週に1、2回来たといい、「ほかのお客さんから『うーやん』って呼ばれて、なじみの客の一人」と話す。一度、出身地の話になったときは「岡山」と話していた。

この店でも音楽談議に花を咲かせ、持ち込んできたCDをマスターに頼んでかけてもらうことも。自ら横浜市内のライブハウスまで音楽を聴きに行っていると話していたという。

「この辺りの音楽好きが集まるような店ではかなり知られた存在だった」。以前、近くの鵠沼(くげぬま)海岸で、男性がバーベキューイベントを行ったときも、70~80人に交じって参加していた。男性は「全く『隠れている』というようなそぶりはなかった」と話す。


藤沢駅周辺の飲食店を活発に「はしご」していた男だが、新型コロナウイルス禍を機に、姿を見せなくなる。次に飛び込んできたのが、「内田」が「桐島聡」と名乗り、病院で死亡したという一連のニュースだった。

男性は「お客さんたちも『何かの間違いじゃないか』と話している。それほど穏やかな、いい人だったから」と、「内田」の死をいたんだ。



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なぞ? 「桐島聡」死亡、事件で妹亡くした男性「発見が遅すぎた」…「彼らの思想は理解できない」
連続企業爆破事件?
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 衝撃の告白から4日。1970年代の連続企業爆破事件で指名手配中の「東アジア反日武装戦線」メンバー、桐島聡容疑者(70)を名乗る男が29日、入院先で死亡した。男は偽名で社会に溶け込んでおり、一連の事件の遺族は「発見が遅すぎた」と無念さをにじませた。

【経緯】東アジア反日武装戦線、彼らはどんな事件を起こしてきたのか

白髪交じり

桐島聡容疑者

 「店内に流れるロック音楽に体を揺らしていた」。神奈川県藤沢市のJR藤沢駅近くでバーを経営する60歳代男性は、「内田洋(うちだひろし)」という白髪交じりの男をよく記憶している。数年前まで月に1回ほど訪れていた。

 立ち寄るようになったのは約20年前。銭湯帰りにカウンターでビールをあおると、バンド演奏に合わせ、上機嫌に体を揺らした。常連客からは「ウッチー」の愛称で呼ばれていた。

 仕事は「建築土木関係」と明かしたが、多くを語ろうとせず「自分は人を幸せにできるタイプじゃない」とも話した。男性は男の自宅を訪ね、音楽ビデオを譲り受けたこともあるといい、「本当に桐島容疑者だとすれば驚きだ」と語った。

 男は数十年前から藤沢市の土木工事会社に住み込みで働いていたが、末期の胃がんを患い、今月、同県鎌倉市の病院に入院した。

 近隣でも「内田さん」で知られ、会社に出入りする際には、住民らと日常的にあいさつを交わしていた。

 <正体を知られてはならない。極端な秘密主義に陥らぬこと。最低限、隣人とのあいさつは不可欠>

 「東アジア反日武装戦線」の教本「腹腹時計」には、メンバーの行動を律する記述がある。ある捜査員は「本当に桐島容疑者だとすれば、『普通の人』を演じていたのだろう」と話した。

「普通の生徒」
 桐島容疑者は広島県出身。尾道市内の高校を卒業後、明治学院大在学中の75年4月に東京・銀座の韓国産業経済研究所で手製爆弾を爆発させたとして、爆発物取締罰則違反容疑で指名手配された。

 高校の同級生によると、小柄で目立たない性格だったが、体育祭などではクラスメートと一緒に汗を流す普通の生徒だったという。


 同級生の一人で福山市の自営業男性(70)は、「重大な事件に関与するとは思わなかった。死亡した男が桐島なら、今までどこで何をしていたのか知りたかった」と語った。

「事件解明を」
 「見つけるのが遅すぎた」。連続企業爆破の「三菱重工ビル爆破事件」で、会計事務所職員だった妹の松田とし子さん(当時23歳)を亡くした男性(77)は29日、残念そうに話した。

 74年8月30日の発生当時、とし子さんは職場に近い東京・丸の内を歩いていて巻き込まれた。この事件では8人が死亡し、負傷者は約380人に上った。

 東アジア反日武装戦線はその後、75年5月まで約9か月間、爆破事件を重ねた。桐島容疑者は三菱重工ビルの事件では指名手配されていないが、男性は「彼らの思想は今でも理解できない。警察は男が残した言葉や足跡から一連の事件を解明してほしい」と願った。




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桐島聡容疑者とみられる男はなぜ50年間も逃亡できたのか?元公安はマニュアルの存在を指摘「近所の人間とは必ず挨拶を」
https://www.youtube.com/watch?v=4RM-xGOvH5k

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桐島聡容疑者を名乗る男が死亡 警視庁公安部が本人確認を進める中 末期の胃がんで入院
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速報 桐島聡容疑者 死亡? 
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 捜査関係者によりますと、神奈川県鎌倉市の病院に末期がんで入院し、今月25日に桐島聡容疑者を名乗った男が29日、死亡したということです。

男は今月、「ウチダヒロシ」の名前で入院していましたが、関係者に「死ぬときくらいは本名で死にたかった」などと話し、桐島聡を名乗ったため警視庁公安部が本人確認を進めていました。

ただ桐島容疑者の指紋やDNAは残っておらず、警視庁が親族のDNA型と照合するなどして身元確認を進める中、29日、病院で男の死亡が確認されたということです。男は末期の胃がんと診断を受けていました。


桐島容疑者は1970年代に起きた連続企業爆破事件で重要指名手配されている「東アジア反日武装戦線」のメンバーで、1975年に爆発物取締罰則違反の疑いで指名手配され、50年近く逃走していました。

男は「内田洋」という名前で数十年前から神奈川県内の工務店で住み込みで働いていたということで、警視庁公安部は男の本人確認を進めるとともに桐島容疑者が偽名で長期間、神奈川県内に潜伏していた可能性もあるとみて調べています。

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逃亡半世紀? 「あの桐島聡なのか」元公安幹部衝撃 逃亡半世紀、本人打ち明け
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  半世紀にわたる逃亡の実態は、果たして解明されるのか。1974~75年に東京都内などで発生した「連続企業爆破事件」に関わったとして爆発物取締罰則違反の疑いで指名手配されていた桐島聡容疑者(70)とみられる男性が、神奈川県内の病院に入院していることが判明した。本人と確認されれば、潜伏期間は警察庁による重要指名手配容疑者の中で最長になる。情報を把握した警視庁公安部は本人の特定を急ぐとともに、逃走を支援した人物がいないか捜査を進めている。


病状は重篤、別名で入院 桐島容疑者本人と認める

 「えっ。あの桐島なのか」――。かつて連続企業爆破事件の捜査に関わった公安部の元幹部は一報を聞き、衝撃を受けた。

 捜査関係者によると、警視庁が情報を把握したのは25日。男性は末期がんの治療中で病状は重く「俺は最後だから捕まえてくれ」と病院関係者に打ち明け、警視庁に伝わったという。

 捜査員が25日中に本人と接触したところ、桐島容疑者であることを認めたという。公安部は急きょ体制を整えて情報収集に追われた。26日には警視総監が交代する行事が庁内で開催されたが、通常ならば参加する一部の公安部幹部は欠席して捜査に当たった。

 社会を震撼(しんかん)させた連続企業爆破事件の皮切りとなる三菱重工業本社での事件が発生したのは74年8月30日、白昼のオフィス街だった。東京都千代田区の本社ビルで、玄関口に置かれた二つの爆発物が爆発した。直前には爆破を予告する電話が入っていた。

 約8カ月の間に8企業が狙われた。捜査線上に浮かんだのは、反帝国主義や反植民地主義を掲げる「東アジア反日武装戦線」だった。警視庁は75年から82年にかけ、武装戦線のメンバーや協力者計9人を逮捕。容疑者は当時先鋭化していた過激派の活動家として表面化しておらず、学生や社会人として普通の生活を送りながら事件を起こしていたとみられることも世間に衝撃を与えた。

 9人のうち、最も大きい被害が出た三菱重工ビル爆破事件に関わった2人は死刑が確定し、3人は懲役刑が確定。1人は逮捕後に自殺した。残る3人は別の過激派「日本赤軍」が起こした大使館占拠事件(クアラルンプール事件)とハイジャック事件(ダッカ事件)に伴う超法規的措置で釈放されて出国し、日本赤軍に合流した。

 出国した3人の中のうち1人は海外で拘束され、帰国後に有期刑が確定した。佐々木規夫容疑者(75)と大道寺あや子容疑者(75)は現在も逃走を続けている。

 桐島容疑者について、公安部は武装戦線の支援者のもとに現れていないかなど情報収集を続けた。ただ、事件から半世紀近くが過ぎる中、集まる情報は乏しかった。近年は「国内にいるかどうかも分からない」とこぼす捜査員もいた。

 元幹部は「本人のDNA型と照合する証拠物には古いものが多く、確認は慎重に進めなければならないだろう」と推測した上で、「本人だとすれば、事件の経緯や逃亡生活の実態がどのように語られるのか、注目したい」と話した。

 桐島容疑者の指名手配対象事件ではないが、一連の事件で被害に遭った三菱重工は容疑者とみられる人物の所在が確認されたことについて、毎日新聞の取材に「事実であれば弊社としましては、長い年月をかけて捜査されてきた関係者の皆様に深謝申し上げるとともに、法にのっとり適切に対応いただくことを希望します」とコメントした。

 入院先とみられる病院には26日夕、多くの報道陣が駆けつけ、テレビカメラで外観を撮影するなどしていた。病院受付の担当者は「(桐島容疑者を名乗る人物については)何も分からない」と困惑した様子だった。院内から出てきた女性はテレビカメラに驚いたような表情を見せた後で「事件のことは知らない」と足早に立ち去った。


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